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千本釈迦堂(大報恩寺) その2

2010年12月08日 00:11

さて、千本釈迦堂の冬の風物詩はこれくらいにして、このお寺で有名なのが“おかめ伝説”です。
そう、「ひょっとこ」「おかめ」の「おかめ」ですね(笑)。「お多福」とも言います。

千本釈迦堂DSC05095

鼻が低く頬とおでこが丸く張り出した、ひょうきんでふくよかな女性の顔を思い浮かべるかもしれませんが、この伝説は美しくも悲しい賢妻の物語なのです。


鎌倉時代の初め、西洞院一条上ルに長井飛騨守高次という洛中洛外に名の聞こえた棟梁とその妻・阿亀(おかめ)が住んでいました。
ちょうどその頃、義空上人(藤原秀衡の孫)が千本釈迦堂の本堂を建立することとなり、高次が総棟梁に任ぜられ造営工事を着々と進めます。ところが、何を思ってか、信徒寄進の四天柱の一本をあやまって短く切り落としてしまったのです。

千本釈迦堂DSC05087

憂い悩む夫の姿をみた妻の阿亀は、かつての古い記録を思い出し「いっそ斗栱(ときょう)をほどこせば」と助言します。斗栱とは柱の上や内部天井のまわりに見える木組のことです。そして、阿亀の助言のおかげで、無事見事な本堂の骨組みが完成しました。
安貞元(1227)年12月26日、上棟式が行われましたが、そこに阿亀の姿はありません。なんと彼女は自刃して果てていたのです。
女の提言で棟梁としての大任を果たしたということが世間に漏れ聞こえては、夫の沽券に関わると懸念したのでしょう。

高次は上棟の日、亡き妻の面を御幣につけて飾り、冥福と本堂の完成を祈り、また妻を弔うため境内に宝篋印塔を建立しました。そして宝篋印塔は、いつからか「おかめ塚」と呼ばれるようになりました。

千本釈迦堂DSC05096 〈千本釈迦堂の本堂(国宝)〉

さて、この本堂は応仁の乱の戦災でも焼けることなく創建当時の姿を残し、洛中最古の建造物として国宝に指定されています。
戦乱の災厄を逃れた本堂と結びつき、火災除け、家内安全と繁栄を祈って祭る「おかめの面の上棟御幣」は現在も京都を中心に上棟式で見られ、招福のおかめ信仰が根づいていることをうかがわせているのです。

千本釈迦堂DSC05090 〈昭和54年に建立された阿亀の大像〉





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