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羅生門 その1

2010年12月12日 02:19

羅生門 監督・黒澤明 1950年 大映

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原作は芥川龍之介の短編小説「藪の中」。
脚本は黒澤明、橋本忍。撮影はもちろん名匠・宮川一夫。

1951年、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞。1952年、アカデミー賞名誉賞(最優秀外国映画賞)受賞・・・今さら言うまでもないですね。


この『羅生門』は、2009年2月に角川映画からブルーレイディスクで「デジタル完全版」が発売され、2010年7月に遅れて発売されたDVDを見ても、とにかく映像がきれい!なのです。60年前の映画とは思えない鮮明さ!です。
音声も聞き取りづらい部分はあるものの、格段に良くなっています。

米アカデミーの最高技術によるデジタル復元らしいですが・・・、
劣化によるダメージを、現存するフィルムの中から、オリジナルネガに最も近い上映用プリントとマスターポジを使用して、総計12万枚以上のコマを、1コマずつ、2種類のフィルムで状態の良い方を選択し復元したそうです。かなり気の遠くなりそうな地道な作業ですね。

 
そうして、鮮明に生まれ変わった名作を改めて見てみると・・・。

『羅生門』はいわずと知れた黒澤明の代表作で、これほど日本映画を象徴する作品もないのでしょうが、
その一方で、完成当時、大映の永田雅一社長が試写でこの作品を、難解で理解出来ずにボロカスにこき下ろし、その後、ヴェネチアでグランプリを取ったとたんに掌を返して自分の手柄のように振る舞った・・・なんて逸話もあります。
一つ観る側の焦点がずれてしまうと、永田社長の最初の評価も決して間違ってはいなかったと思えるような、一筋縄ではいかない作品でもあります。

羅生門000004

この作品は、そもそも、そう難しく考える必要はないと思うのです。

要は、最後の場面。藪の中での殺人について、当事者が三者三様自分勝手に、自分だけが都合のいいように証言していることに憤る杣売り。そして、この一見善良そうな杣売り自身が、自分が起こした窃盗を覆い隠して都合がいいように役所に名乗り出ているという事実。さらに、そんな小悪人のひとりに過ぎないことを自覚した杣売りが、捨て子を憐れみ、育てていく決意をする場面。そここそが、杣売りを演じる志村喬の表情の変化とあわせて、なんとも涙を誘う感動の場面なのです。

戦さ、地震、辻風、火事、飢饉、疫病・・・そんな忌々しい世相の中で、
追い打ちをかけるように、「いったい正しい人間なんているのかい。みんな自分でそう思っているだけじゃねえのか。人間ていうヤツは自分に都合の悪いことは忘れちまって、都合のいい嘘を本当だと思ってやんだい。その方が楽だからな」と居合わせた下人が放った、ある種真実の言葉。自分もその絶望の一端を担いでいた杣売りが人間性を取り戻し、旅法師が人を信じられるようになる。これこそが芸術的カタルシスの神髄・・・でしょう?

羅生門000129


たとえば原作の「藪の中」であっても、それぞれ事件に関わった人の証言の食い違いは、あくまで人間のエゴを強調しているだけのことであって、どの証言が正しいかなんて詮索することの方が愚問のような気がします。
そして映画『羅生門』にいたっては、原作になかった杣売りの語りが加えられることによって、なおさら何が真実かは、問うべくもないのです。
どうして、原作になかった「羅生門」の場面があるのか。そして、この映画のタイトルが『藪の中』とならずに、『羅生門』となったのか。その理由を考えれば、至極明快な映画だと思うのですが・・・。





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