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もどろき その2

2010年12月10日 00:26

たぶん、これは私小説なのでしょうし、少なくとも私小説“的”作品ではあるのでしょう。

主人公は作者を思わせる東京に住む36歳の男性。彼の当面の懸念は、亡き祖父と父が住んでいた京都にある空き家のこと。
隣三軒との棟続きで更地にもしづらく、売りに出そうとしても買い手も見つかりそうにない古びた家。
その家を通して、祖父と父、そして家族について、思いをめぐらせるのです。


物語にリンクしてくるのが、題名となった「もどろき」つまり還来神社の祭神・藤原旅子です。
藤原旅子は、桓武天皇の后で、淳和天皇の母。30歳という若さで京都の西院において没しますが、その際の遺言で生まれ故郷に祀ってほしいと望んだことから、龍華の荘、現在の途中町に祀られ、“自分の生まれた土地に戻ってくる”が転じて「もどろき」になったといいます。
そして、この神社には、日清、日露戦争の際、戦いに臨む人たちが参拝し、無事帰ってくることを祈願したという謂われがあり、さらに太平洋戦争時にはその参詣者は引きも切らなかったのだとか(建前上はもちろん戦勝祈願ですよ)。
その中のひとりが、主人公の祖父でもあったのです。
主人公はこの逸話を、遺品整理をしていた最中に、父の著書から知ることとなります。
祖父は長年、米屋を営んでいました。どこに行くにも自転車に乗って行き、妻よりも自転車を愛していたような人物です。そんな若かりし頃の祖父が、25キロから30キロに及ぶ当時は舗装もされていなかった山道を一度目は徒歩で、二度目のお礼参りは愛用の自転車で詣ったというエピソードは、主人公ならずとも強く印象に残ります。

主人公の父は中小企業診断士として市役所勤めをし、定年後、大学の非常勤講師などをしながら、実家に戻り祖父とふたりでその家に住んでいました。ところが、祖父の入院中に、かつての米屋の店先、今は書斎となった部屋で亡くなります。大量の睡眠薬を飲んでの自殺でした。
祖父母と父は血の繋がった親子ではなく、四人の子を持つ未亡人と17歳も年下の学生との間に出来た不義の子でした。駆け落ちした実の父母が近江から辿り着いたのが、京都の西院。父はそこで生まれたのです。奇しくも「もどろき」の祭神・旅子が没した地というわけです。その後、幼くして父はこの米屋を営む祖父母の養子となったのです。

ほかにも、この物語には、若かりし頃に郵便局員として働いていたフランスの哲学者・ガストン・バシュラールの著書『蝋燭の焔』の引用や、亡くなる前に父が主人公に語った「俺は思うんだが、こうやってデッド・レターになってしまった電子メールも、この世に実在していたことに、なるんだろうか?」といった言葉が、意味ありげに(いや、物語中に重要な意味をもつのですが)漂って・・・。
電子メールの送り方を覚えた父親が、何故そんなことを息子に聞いたのかといえば、バシュラールの『蝋燭の焔』を呼んでいたからにほかならず、もう既に答えは父親の中にあったはずなのです。「実在している」と。
主人公の言葉を借りれば、「それについて考えることが、誰かの心のなかに、引っ掻き傷を残すからだよ。」ということになるのです。
そして、古い家の引き出しの中には、父にあてた実母の手紙や、戦時中、祖父にあてた戦地からの手紙が残されていて、ある種のデッド・レターとも言えるそれらの手紙を主人公が読むことで、家の歴史が形作られていく・・・と。

この作品でいいと思ったのは、主人公が、同じく東京に住む独身の妹の行く末を案じる優しさや、
妹とともに還来神社を訪ねる際、タクシーの中から山道で見る、幻の「自転車に乗る郵便局員時代のパシュラール」を幻の「帰還のお礼参りに行く祖父の自転車」が追い抜く光景です。
そう、祖父が通い、その祖父の話を聞いていた父も行ったことのある還来神社に、兄妹も行くことになるのは、この物語の展開としては必定なのです。

傾いだ古い家や、不義の子として生まれた父、戦時中の暗澹たる時代背景、父の自死、30歳を過ぎて独身の兄と妹など、けっして明るくもなく地味な話なのですが、バシュラールを力強く追い抜く祖父の姿を描く場面、そして、それをさらに追い越していくタクシーに乗った兄妹。この小説的想像力で描かれたシチュエーションは、時間や空間を飛び越えた疾走感と爽快感が充溢していて“とにかくいい”のです。





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