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失踪 その2

2010年12月06日 01:07

古屋志摩は三十歳の出戻りで、家業である上絵師を継いでいる。若い職人の菊子とふたり、西洞院にある京町家の虫籠窓の奥で日々、着物に紋を書きつけていた。
離婚の原因は夫の浮気。一年半前に飛び出してきた東京の婚家にはひとり息子の幼い亮を残していた。

彼女の仕事場を月に二度ほど訪れる男があった。東京に住む苗場弥五である。志摩より三つ年上で、知人の結婚披露宴で知り合った。
志摩ははじめ、苗場のことを煙たがる。苗場は資産家の息子で、現在は会社勤めをしているらしいが、どんな職種かは志摩も知らない。ただ、月に数度の関西への出張の際には彼女の仕事場に顔を出すのだった。

ある日、志摩は仕事部屋で胸騒ぎを覚える。部屋には由緒ある紋所を描いて納めた額が掛かっているのだが、その文様を染めた古い布地が額の中で傾いていたのだった。
志摩は額の裏紙をはずした。すると、その下から古びた厚紙が現れた。ロートレックの「マルセル」であった。
見覚えのある、女の横顔だった。鋭い鼻梁。しっかりした、顎の線。白と薄い青とが、古いカルトンの上では妙にみずみずしい。(本文より)

果たして、この「マルセル」は、本物なのか贋物なのか・・・。

かつて、苗場との食事で、彼がロートレックについて熱心に喋っていたことを思いだす。そして、以前、志摩の仕事場で、額を嶮しく見つめていた姿もあった。絵を隠したのは苗場に違いなかった。

「マルセル」を通して苗場という存在が、自分の身近に飛び込んできた錯覚に陥り、次第に苗場のことが頭から離れなくなる。
さらに、ふとしたことから、息子が小児喘息にかかっていることを知り、その日から、寝ても醒めても思うのは息子のこと。

眠れぬ夜に、「マルセル」を取り出し、眺めると気も紛れた。むしろ、仕事が遅くなって、「マルセル」に会わずに寝ると、苗場の姿が目に映り、息子の咳き込む声が響くようになる。彼女はその絵にとらわれていた。

結局、「マルセル」は本物で、苗場自身が盗んだものだった。どうして盗んだのかは、苗場自身にすらわからないという。
しかし、志摩もそんな苗場を責めることは出来ない。
自分の部屋にある「マルセル」を、本物ではないかと疑っていた間も警察に届けなかった。苗場の言う通りコピイだと思い込むようになった。同じ部屋で仕事をする菊子にも言わず、額縁の裏に秘めておいていたのは、その絵を本物だと気づいていたからではなかったか、と。

部屋に「マルセル」を置き続けていたことは、彼女の中で人間として、社会人として何かが脱落していた。“失踪”してしまっていた。彼女自身が、襤褸のように穴だらけなのであった。そして、その穴からは、貴重な物がみな、“失踪”してしまっているようだった。

盗んだ朝のことを説明しようとする苗場。しかし、志摩はその言葉を遮る。
おそらく朝の美術館の空気というものが、苗場の中から何かを失わせていたのであろう。苗場がマルセルを盗み出したのは、その、「何かが失われていた」という状態に、彼が陥っていたからにちがいない。その時、彼はあるいは何者かによって、全く別の世界へ拉致されていたのかもしれない。すると、この盗みには動機を求めることは出来ない。(本文より)


   まあ、このあたりが、題名『失踪』に込められた主題なのです。

ただ、最後に、河原町の四つ辻で、歩行者信号を見て青だと思い横の車道を渡ろうとして、車にはねられ死んでしまう主人公の最期はいかがなものでしょう。
もちろん、「マルセル」を持ち続けていたことへの罰の意味ではあったのでしょうが・・・。

物語の安易な終わらせ方に、“夢オチ”と“主人公の死”というものがありますが・・・、なんだか視聴率低迷のメロドラマの打ち切りみたいで、少し残念なような気がしないでもないですね。


20101127150608fc4[1] 〈三条神宮道〉
右手、通りに面した家々の背に、影のような木立が見えて来た。青蓮院の、楠の繁みである。雨のあとだった。湿気が多い。楠の繁みは煙ったように拡がって、まとまりがなかった。曲がりましょうか、と、津川は言った。志摩は青蓮院の道に惹かれていたが、津川は左へ曲がろうというらしい。こちらへゆくと? 神宮通りです。いやあ、と志摩は声をあげた。疎水が目にうかんだ。大鳥居が大きすぎる。そしてその傍らに近代美術館。ロートレックが、盗まれたところだ。犯人は、美術館から疎水を渡り、仁王門通りを横切り、京都日冷の冷蔵倉庫前で、マルセルの額縁をはずして捨てた。すると、そのまま逃げれば、当然、いま志摩たちの立っているところを、走ってすぎているわけだ。

20101127150607881[1] 〈京都会館〉
その日から彼女の中には、京都会館の姿が、時折、影のように、うかび上がるようになった。花どきでもなければ、夜になってその辺りを歩くものは少ないであろう。広い二条通りの、清潔なたたずまい。大きな街路樹はゆったりと静まって、木々の葉は明るい街燈の光の中で、エメラルド色に透いて見えるかもしれない。周囲は、深閑としているだろう。そして会館は、新しいデザインを誇るあらけずりなコンクリートの建物だ。数多い脚柱の間からは、その奥に残されている、古い日本建築に見るような、破風のそった瓦の屋根が見えることだろう。その背は、平安神宮の森だ。






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