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古都 その2

2010年11月08日 00:28

この作品に登場する人たちの、なんと優しいこと。
千重子も苗子もあまりにいじらしく、純情で、切なすぎます。

『古都』(新潮文庫)のあとがきで、文芸評論家の山本健吉は、
「この美しい一卵性双生児の姉妹の交わりがたい運命を描くのに、京都の風土が必要だったのか。あるいは逆に、京都の風土、風物の引立て役としてこの二人の姉妹はあるのか。私の考えは、どちらかというと、後者の方に傾いている」と述べています。

果たしてそうなのでしょうか・・・。


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〈中川の里を流れる清滝川。鳥獣戯画で有名な高山寺や神護寺のふもとを通り、嵯峨清滝、水尾を越え、保津峡へと流れ注ぐ〉


1899年生まれの川端康成ですが、彼は幼くして近親者を次々と亡くすという不幸に見舞われています。
1901年に父が、翌年には母が。その後、祖父と祖母とともに生活しますが、1906年に祖母が亡くなり、1912年には離ればなれで暮らしていた姉が、そして1914年に祖父もなくなり、16歳で天涯孤独の身になってしまうのです。

なんだか、作者の生い立ちが、小説『古都』の世界観と重なってしまうのです。


双子が忌み嫌われていた時代(やけに理不尽な時代です)。
生まれてすぐ裕福な呉服問屋の前に捨てられた主人公・千重子にとっては、産みの両親に大した感慨を持っていないことはうかがえます。
しかし、双子の姉妹が現れたとあっては、話は別です。
自分の両親がどんな人だったのか、どうして自分が捨てられたのか、知りたいことは次々と湧いてきます。
そして何よりも、捨てられたはずの自分の何不自由ない生活と比べて、ひとり山奥の村で生きている苗子を哀れに思い、一緒に住みたいと思うのは当然のことでしょう。


201011070138131b4[1]
〈「清滝川の両岸の山は急で、狭く谷に落ちている。雨の量が多くて、日のさすことの少いのが、杉丸太の銘木が育つ、一つの原因ともいう。風も自然にふせげているのだろう。強い風にあたると、新しい年輪のなかのやわらかみから、杉がまがり、ゆがんだりするらしい。」(本文より)〉


そして苗子は苗子で、ずっとどこかにいる姉妹のことを思い、冷たい山水と菩提の砂で杉丸太を洗う山仕事に従事して、山間の村で20年間ひっそりと生きてきたのです。
姉妹に会いたい一心で、祇園祭の宵山の夜、四条寺町にある「御旅所の神前から、いくらか離れて行っては、またもどっておがみ、それを七たびくりかえす」七度まいりをする苗子。
北山杉の里で、夕立の雷雨に遭い、青ざめて怖がる千重子に、「『千重子さん、膝を折って、小そうおなりやす。』と、苗子は言うと、千重子の上に重なって、ほとんど完全に、抱きかぶさってくれた」苗子。
そして、腕のいい機職人・秀男から求婚されるも、秀男にとって自分は千重子の幻でしかないことを悟っている苗子。
秀男との結婚は、取引のある織屋と問屋との関係から、千重子の両親が実の両親でないと世間に喧伝するようなもので・・・苗子には耐えられるはずもないのです。


20101107013814e2c[1]
〈「そのままにしといたら、千年も、太って、のびるのやおへんやろか。たまに、そない思うこともおす。うちは、原生林の方が好きどす。この村は、まあ、切り花をつくってるようなもんどっしゃろ……。」(本文中の苗子のセリフより)〉


こんなにもいじらしく哀しい姉妹の物語が、「京都の風土、風物の引立て役」なのだったら、それこそ通俗中の通俗小説です。
肉親すべてを幼くして亡くしてしまったこの作者だからこそ、家族の絆や血のつながりのもつ悲喜を京都を舞台に書けたのではなかったかと、思ってしまうのです。

それにしても・・・あまりにスタンダードすぎる名作のよさを再発見し、恥ずかしながら思わず目から鱗が落ちちゃいました。






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