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闇の土蜘蛛事件 その2

2014年01月06日 22:03

そして、1977(昭和52)年11月2日夕方には東本願寺の大師堂(現在の御影堂)で爆破事件を起こします。

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当時、東本願寺の真宗大谷派は「お東紛争」と呼ばれる教団を二分する内部紛争の真っただ中。さらに徳川幕府の庇護を受けていた大谷派は、江戸から明治の代となり、新政府に叛意がないことを示すためにも積極的に北海道開拓に関わってきた教団としての歴史があり、「闇の土蜘蛛」を名乗る加藤の標的となったのです。

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この一連の放火、爆破テロで幸いだったのは、死者が一人も出なかったことくらいでしょうか。

加藤が最後に起こしたのは、1978(昭和53)年1月1日に東京板橋のアパートでの爆弾暴発事件でした。

この暴発事件は、明治神宮に仕掛けるつもりの“糞尿爆弾”を潜伏先のアパートで誤爆させ、自ら糞尿まみれになるという、お粗末さ(サイテーなやつです(苦笑))。

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この時の心境を東京地裁で行われた拘置理由開示の裁判で、「まったく絶望的な気持ちだった。西欧文明と闘って滅びたオーストラリアのタスマニア原住民や、アイヌ民族などのように、私も闘って死んでいくだけだと思っていた。侵略者・日本人としては生きていたくなかった」と語り、「誤爆で糞尿を浴びたことは、結果的には私にとって文字通り“ウン”を運んでくれた。二人(愛人で共犯者の太田早苗)で五、六ヵ月逃げているうちに、自分の革命闘争に疑問を持つようになり、爆弾闘争から離れた」などと、都合のいいことを言っております。

1983(昭和58)年5月18日、加藤は逮捕され、懲役18年の刑に服し、現在は故郷の岐阜県内で自給自足の生活を送っているのだとか。


釈放後の2005(平成17)年4月18日に、加藤は東本願寺へ謝罪に訪れましたが、かつて彼が爆破しようとした親鸞聖人を祀る「大師堂」が「御影堂」と名を変えていたのも、なんとも皮肉です。

というのも、1981年に真宗大谷派は、宗憲(宗派の憲法)を改定し、1876(明治9)年に天皇から親鸞聖人へ賜った諡号「見真大師」の名称を削除し、同時に大師堂の呼称も、御影堂へと戻してしまったのです(ちなみに、もう一つの真宗の大教団である西本願寺こと、浄土真宗本願寺派も宗制を改正し、2008年より「見真大師」の大師号を削除しています)。
真宗教団が一様に“左”とも揶揄されることに通底するこの話題は、かなり深い話にならざるを得ませんので、いったんこのあたりで・・・。





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