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本法寺 その2

2012年07月09日 18:44

14DSC04475.jpg 〈本堂〉

本堂の前には長谷川等伯像と本阿弥光悦手植えの松。

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日親上人が投獄されていたときに知り合ったのが本阿弥清信。日親上人は彼の帰依を得て本法寺を再建し、その後、本阿弥家の菩提寺ともなりました。
清信は光悦の曾祖父で、刀剣の鑑定や研磨を生業とする名家でありながら、刀剣の鞘走(鞘がゆるく、刀身がひとりでに鞘から抜け出ること)が原因で、将軍・義教の怒りに触れ投獄。その獄中で一緒になった日親上人に教化され熱心な法華信者となったのです。

18DSC04337.jpg 〈長谷川等伯像〉

第十世・日通上人(天文20(1551)年)―慶長13(1608)年)の頃、長谷川等伯(天文8(1539)年―慶長15(1610)年)は本法寺の塔頭・教行院に寄宿していていました。
時あたかも、本法寺は復興事業を進めていて、本阿弥光二・光悦親子の支援を受け本堂は慶長4(1599)年に、客殿、仁王門は慶長10(1605)年に建立。また寺の中でも印象的な多宝塔は元和9(1623)年に造営されました。

そのような中で、代々家が日蓮宗信者であった長谷川等伯も日通上人と親交を結び、再建された本法寺の天井には等伯の描いた「龍図」もあったのだとか。もともと大涅槃図は本堂に掛けられていたそうですが、天明8(1788)年の大火で諸堂が消失。その時、蔵庫だけが消失を逃れ、「大涅槃図」などの宝物が今に伝わっています。

21DSC04320.jpg 〈唐門〉

20DSC04317.jpg 〈庫裡〉

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〈十(つなし)の庭〉

唐門前の「十(つなし)の庭」は、どうして“十”を“つなし”と呼ぶかというと、ひとつ、ふたつ、みっつ…ここのつ、とお、と“つ”が付かないからだとか。

23DSC04276.jpg 〈巴の庭〉

「巴(ともえ)の庭」は本阿弥光悦作庭と言われ、書院の東側から南へ曲がる鍵形の庭で、広さ200坪。庭の中心部には半円を二つ合わせた円形石と、切石による十角形の蓮池が配置され、二つで「日」「蓮」を表現しているのだとか。

25DSC04285.jpg 27DSC04301.jpg

31DSC04518.jpg 32DSC04287.jpg

毎年、春には一ヵ月間にわたり特別寺宝展が開催され、縦10メートル横6メートルの大迫力の長谷川等伯筆「仏涅槃図」(1599年)が公開されます。本来、涅槃図には描かない“猫”や、この時代には珍しい“コリー犬”が描かれているのも特徴の一つ。
普段は涅槃会館にレプリカが掛けられていますが、カラーコピーのような模造品では、本物の迫力には及ぶべくもありません。

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〈本物の「仏涅槃図」。猫の部分だけを拡大です。本来は写真撮影禁止(許可を得て撮影していますので、あしからず)〉

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やっぱり、日本庭園は曇り空か雨の日が、絵になりますね。





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