--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

浄蔵 その2

2012年01月30日 23:14

二十代の頃には、大峯山、葛木山、那智山と修験道の聖地で数々の修行をおこなっていた浄蔵貴所。

祇園祭の山鉾に登場する「山伏山」のご神体は“山伏の人形”ですが、その人物こそが浄蔵で、大峯山に入るときの姿をあらわしています。

DSC01367.jpg
〈宵山までは山伏山町の町家の二階に祀られ、右手に苛高数珠(いらだかじゅず)を持ち、左手には斧、そして腰には法螺貝をつけた、まさに修験道者の勇ましい格好〉

DSC01366.jpg


さらに、浄蔵の奇想譚の中でも最も有名なのが、「一条戻橋」の橋の名の由来となった、父・三善清行を生き返らせたという伝説でしょう。

山伏としての修行に励み、さらに法力を身につけていた浄蔵が二十代後半の頃。
浄蔵が熊野に詣でる途中、父の死を知り、急いで都に戻るも、すでに死後五日を経過していて、一条堀川の橋の上で偶然出会った葬列が父のものでした。
父の亡骸と対面した浄蔵は、臨終を看取ることが出来なかったことを嘆き、橋の上で祈祷をおこないます。すると父は蘇生し、その後三年間(一説には四、五日とも、一週間とも)生きながらえたというのが、浄蔵伝説の中でも最も知られた逸話で、それ以来、橋の名が「戻橋」となり今に伝わっているのです。

DSC00668.jpg


浄蔵は数々の病気治癒のほか、「一条戻橋」での父の蘇生にとどまらず、数多くの蘇生伝説を残しています。

南院親王(光孝天皇の第一皇子・是忠親王)を蘇生させ、四日間生きながらえさせたり、
浄蔵が比叡山西塔に聴法のために出かけた際、乗っていた馬が突然亡くなり、法会が終わった後、その馬を蘇生させて自らの庵までその馬に乗って帰ったり、
浄蔵自らが、自分の臨終を悟り、金剛般若経一万巻や法華経を転読して、閻魔大王に寿命を長らえさせてくれるように頼み、その通りになったり・・・。


ちなみに、生き返った父・清行は、その三年後の死に臨んで、手を洗って口をゆすぎ、西に向かって念仏を唱えて息絶えるのですが、清行を火葬した後には、舌だけが焼け残っていたのだとか。
また陰陽道にも通じていた清行は、五条堀川あたりに人が住むにはあまりにも荒れ果てた家を買い入れ、そこに夜な夜なあらわれる化け物を退散させたとの逸話も『今昔物語』には記されています。

浄蔵の父・清行も並みの人物ではありませんでした。





コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://2ndkyotoism.blog101.fc2.com/tb.php/365-afbe5ffc
    この記事へのトラックバック


    Twitterボタン

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。