--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

偽れる盛装 その1

2011年11月26日 22:43

偽れる盛装 監督・吉村公三郎 1951年

WS000684_20111108233714.jpg


花街や遊郭を題材とした映画の中では、この『偽れる盛装』と『廓育ち』(監督・佐藤純彌、1964年、東映)は出色です。
『廓育ち』は遊郭時代の島原の面影が画面の随所に残っていて、主演の三田佳子の存在感とともに、遊郭に生きる女の悲哀をリアルに、生々しく描いていました。

そして、鴨川の東にある宮川町を舞台とした『偽れる盛装』は、監督・吉村公三郎と名コンビと謳われた新藤兼人の秀逸な脚本・・・これに尽きます。

WS000026_20111108233714.jpg
〈オープニングでは団栗橋(木屋町と宮川町を結ぶ橋)の南側から東山や南座の見える四条大橋を映し出しています〉

吉村にとって『偽れる盛装』はこの後に続く『西陣の姉妹』(1952年、大映、脚本・新藤兼人)、『夜の河』(1956年、大映、原作・澤野久雄)とともに京都に生きる女性をテーマとした三部作の第一弾でもありました。

WS000254.jpg

そもそも、監督・吉村公三郎と脚本家・新藤兼人は1947年に『安城家の舞踏会』(主演・原節子、松竹)で初コンビを組み、いきなりキネマ旬報ベストテン第一位に輝き、両人とも映画界での地位を不動のものとしました。
そして、その後もヒット作を生み出しますが、コンビ解消を迫る映画会社の窮屈さから、1950年に二人は松竹を飛び出し、独立プロダクション「近代映画協会」を俳優の殿山泰司らと設立。
翌年の1951年には新藤が『愛妻物語』(主演・乙羽信子)を撮り、監督デビューも果たしました。


『偽れる盛装』は前述の吉村と新藤が松竹を離れるきっかけともなった作品です。当初、この映画は『肉体の盛装』という脚本で制作が計画されたものの、松竹はその脚本を認めず、さらに吉村と新藤のコンビ解消を迫ります。そして松竹を飛び出した二人は東宝に企画を持ち込みますが東宝内部のゴタゴタから撮影直前になって企画は流れ、次に持ち込まれたのが大映だったのです。しかしそこでも、直木賞作家で大映の専務だった川口松太郎に「芸者もの」はもう当たらないと反対され、川口が海外出張に行っている隙に企画を通したという、いわく付きの一作なのでした。

WS000729.jpg

この映画は、新藤が師匠でもある溝口健二へのオマージュとして仕上げた作品といわれるだけあって、登場人物の性格は溝口の代表作『祗園の姉妹』(1936年、第一映画社)を彷彿とさせます。
『祗園の姉妹』では、それまで映画の脇役でしかなかった女性をメインに据え、人間関係にドライな妹・おもちゃ(山田五十鈴)と人情に厚い姉・梅吉(梅村蓉子)との対比が物語を覆い、前作『浪花悲歌』(1936年、第一映画社)とともに、関西弁を駆使した日本初のリアリズム映画と称されました。

そして、『偽れる盛装』では、遊ぶ男たちを手玉にとって、花街でしたたかに生きる“現代的”な芸妓・君蝶(京マチ子)と、芸妓を引退し置屋を営む“義理堅い”母・きく(滝花久子)との対比に加え・・・、
君蝶の妹で京都市役所に勤める妙子(藤田泰子)と、同じく市役所に勤めながらも実家は祗園甲部のお茶屋の息子・孝次(小林桂樹)との、ロミオとジュリエットを思わせる身分違いの恋の行方にも焦点をあてました。隣り合う町でありながら、娼妓や芸妓の混ざる遊郭の色彩が濃い宮川町と、格式の高い花街・祗園甲部との違いをシナリオに活かした点も、名作『祗園の姉妹』より、さらに物語に深みを与えているのです。

WS000182.jpg
〈四条花見小路〉





コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://2ndkyotoism.blog101.fc2.com/tb.php/353-8316f7ea
    この記事へのトラックバック


    Twitterボタン

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。