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京都会館 その2

2011年10月20日 22:55

1930年にパリから帰国した前川國男は、もう一人の重要な人物と出会います。それが帰国して5年間在籍した設計事務所の主宰者であるアントニン・レーモンド(1888年―1976年、チェコの建築家)でした。

レーモンドは1919(大正8)年に帝国ホテルの建設助手として来日。その後も長く日本に留まり、日本家屋や神社建築から近代建築の要素を掬い取り、独自のモダニズム建築を築き上げた人物です。

前川は、ル・コルビュジエの“ドミノシステム”に代表される建築手法と、レーモンドが日本の伝統建築の中から近代建築の原則を見いだそうとする姿勢を得て、“耐震性や、梅雨のある気象条件”をも考慮した前川独自のモダニズム建築の理念を確立しました。

とはいえ、日本の中にモダニズムの建築手法を持ち込もうと主要なコンペに出品しますが、ことごとく落選(1945年までの16年間に19度のコンペに参加するも、実現した建物はなかったそうです)。
しかし、コンペを通じて次第に日本の建築界にもモダニズム建築の提唱者として前川の名が徐々に知られるようになり、戦後、その理念が開花するのです。


西洋の模倣や、折衷様式が建築思想を覆っていた戦前。そして戦後一変して建築界が日本独自の建築様式を模索していく中で、前川のモダニズム建築の手法が、いち早くその進むべき道筋の先鞭をつけたのです。


前川國男の建築物の主な特徴は・・・、

“大きな庇”
装飾のないモダニズム建築において、建物の顔となる部分。

DSC04372.jpg
〈京都会館の庇は長さ100メートルを超える巨大なもの。建物の象徴としての役割も果たしています〉

“打込みタイル”
前川が編み出した工法で、型枠に先止めした足の長い特注のタイルを、打ち込まれたコンクリートと一体化させることで、陰影に富んだ赴きある壁を形づくり、風化にも強い外壁。

DSC04354.jpg

“ピロティ”
地上一階の柱だけを残して外部空間と一体化させる建築形式で、環境に溶け込んだ広場的な空間を演出。

DSC04152.jpg



そう、前川のモダニズム建築の思想のすべてを見いだせるのが、この「京都会館」でもあるのです。

DSC02628.jpg

中庭を囲むようにL字型(LというよりもJでしょうか)に建物を配置し、二条通に面した正面をピロティにして、建物としての圧迫感を排除。道路から連続した街の広場としてのやわらかい空間を創出。

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隣接する京都市美術館別館(旧・京都市公会堂東館、1930年竣工)や、大文字山を中心とした東山の景観にも配慮した設計。

DSC04178.jpg

二条通の街路樹と同じくらいの高さの、水平な建物。



「京都会館」は単なる没個性な建物ではなく、過分な装飾を排除しながら機能的に設計され、まわりの環境に溶け込ませようとした前川國男のモダニズム建築の思想を大いに盛り込んだ彼の代表作なのです。

DSC04177.jpg

もちろん他の芸術と同じように、建築の世界にもモダニズムを批判する「ポストモダン建築」がこの後台頭し、1980年代を中心に隆盛を極めることとなるのですが、建築史における、ひとつの重要な建物であることには間違いなさそうです。

しかし、万に一つも改修計画が白紙撤回されたとしても、コンクリート建造物の寿命は70年ともいわれ、所詮その命は長くはないのでしょう。
残念ながら、無くなることがわかって初めて“少し”理解できた「京都会館」に込められたモダニズム建築の思想なのでした。

DSC02427.jpg


参考文献『近代日本の作家たち 建築をめぐる空間表現』(編・黒田智子、学芸出版社、2006年)。





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