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曼陀羅 その3

2011年11月01日 00:05

その頃、海岸での出来事を怪しく思い、すべてがモーテルの主人・真木(岸田森)に仕組まれ、今も操られていると感じた信一(清水紘治)と由紀子(森秋子)は疑問を晴らすためにモーテルへと向かいます。
海岸で二人に再会した真木は、彼らを山あいにある寺へと招き入れました。その寺を中心とした土地で行われていたのは、農業を中心とする完全自給自足のユートピア。

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最初は懐疑的だった信一も、真木の力説に次第に、ユートピア思想の魅力に取りつかれていきます。
「エロティシズムこそ、果てしのない単純再生産、いや、セックスとちごうて、エロティシズムはむしろ縮小再生産の行為とすら言えるかもしれないくらいなんや。エロティシズムの背後には絶えず死の影が揺らめいているからな。・・・人間は一瞬の恍惚を求めて彷徨うが、恍惚とは何か? それは生きながらにして時間の感覚を、いや、もっと大きく言うたら歴史を失う瞬間のことを言うんや。ファウストのセリフやないが『時間よとまれ』ということや。単純再生産こそ、人間のすべての営為の中で時間を失った永遠の空間を作り出すことができるんやないのか」
二人は手に鍬を持ち農作業に加わっていたのでした・・・。

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ユートピアでは、真木の妻(若林美宏)が、様々な神様(作品の中では神も仏もごちゃ混ぜになってます)と交信し、「神様相手の娼婦」を自認。そのいでたちは、感情を隠すかのような白塗りの能面づらで、巫女のよう。真木は、妻との契りをせず、もっぱら手下の守と茂雄が真木の世話をしているという。


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京都から姿を消した二人を心配する裕(田村亮)は、彼らの行方を捜して、恋人の康子(桜井浩子)とともにあの海岸に辿り着くのですが、またしても二人を襲う影が・・・。

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ユートピアに招かれた裕は、真木や茂雄と対峙し、彼を連れ戻すために説得します。
裕「もし、こんなユートピアで世直しがきくんやったら、我々は何も苦労しいひん。単純再生産は人類の夢かも知らんけど、他方、拡大再生産の資本主義的様式は確固としてある上は、なんにもならへん。いずれはそっちに逃げ込まれるんや。そのあげく、あんたたちが苦心して切り開いたこの谷間なんか、せいぜい悪どい観光会社の別荘地として麗々しく売り出されるという寸法や」
真木「そうはさせない。この土地は私が生まれ育った先祖代々の土地や。誰の手にも渡すわけにはゆかん」
裕「あんたの夢は甘い・・・観光会社というて悪かったら、国家というてもええ。国家はいったん狙いをつけたらどんな犠牲を払っても必ずその意志を貫くもんや」

しかし時間の中に生きることを否定してしまった茂雄に、裕の声は届きません・・・。

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実相寺昭雄の前作『無常』同様、田村亮の熱演にして、この『曼陀羅』での核となるやりとりがつづきます。

信一に語らせる“ファウストの感性”や“パリ・コミューンが成立した時、一人の労働者が石を投げて時計台の時計を壊したというエピソード”もなかなかのもの(学生運動を象徴するものが、各大学の時計台を擬した建物というのも意味深で皮肉なものです)。

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そして彼ら三人がユートピアの一室で対面していた同じ頃、別の部屋では康子が住民によって凌辱され、絶望のうちに木に首をくくり自殺してしまうのです。

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〈首をくくって自殺した康子(桜井浩子)を目にして微笑む真木の妻(若林美宏)〉


そんな康子の状況を知らず、京都に帰って彼女を捜す裕。

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かつての同志ですでに運動から手を引き転向したジュン(左時枝)に行方を尋ねるも、手がかりは見つかりません。

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〈左時枝は、この場面だけの登場〉





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