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曼陀羅 その2

2011年11月01日 00:04

冒頭は二組の学生カップルがスワッピングしているという、なんとも官能的な場面から始まります。
フツーの映画なら恋人同士のスワッピングがテーマというだけで一本の映画がつくれそうですが、実相寺昭雄の世界観ではこんなの・・・映画への導入に仕掛けられた一場面でしかありません。

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モーテルの一室をカメラでのぞき見ているのが、真木(岸田森)。表の顔はモーテルの支配人、そして裏の顔はユートピアの中心人物(ちなみにモーテルの名前は「ホテル バロッコ」。イタリアの小さなコムーネ(コミューン)の名がつけられていて、設定が細かい)。

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信一(清水紘治)が恋人の由紀子(森秋子)にベッドの上で語った「僕自身が僕に対して疎遠になる。魂が離れていく時みたいに、現在という時間が希薄になる」という感覚や「幼い頃に得た時間のなくなるような感覚に恐怖と恍惚を感じた」との言葉に、真木は彼がユートピアの住民になる素質があると感じとって、手下の二人に襲わせ、ある仕掛けを施すのです。手下の一人・茂雄役には草野大悟。

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茂雄によって一撃で倒された信一。一方、由紀子は海岸沿いを走って逃げるも男たちに取り押さえられ、砂浜で強姦されます。ようやく目が醒めた信一は、砂浜に倒れた由紀子が死んでいると思い、妙な興奮に襲われ・・・。
死という時間の停止を意識した中での信一の由紀子に対する愛撫は、今まで味わったことのない恍惚感を信一にもたらし、由紀子もそれを知ってか、死んだふりをしながら信一にされるがままに横たわっていたのです。

実相寺監督のATG三部作(『無常』(1970年)、『曼陀羅』(1971年)、『哥(うた)』(1972年))のなかでは、この作品だけがカラー映像です。広角レンズに映し出された海岸沿いの青空が実に深い。

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海岸の怪しげなモーテルでの日々から少し経って、京都に帰ってきたもう一組のカップルが裕(田村亮)と康子(桜井浩子)。

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康子が妊娠し、裕に結婚を迫りますが彼は「子どもは欲しくない」と堕胎をすすめます。お腹の子がスワッピングした相手・信一の子だとの疑念が彼を結婚に踏み切らせない理由だと考える康子に裕は無碍なく答えます。「子どもの血なんて、観念なんや。その証拠に赤ん坊を取り違えられた夫婦を見てみ、日が経てば経つほど他人の子を離せなくなってるやんか。これは自分の子やと思ったら、もう自分の子なんや・・・子どもを作って結局、人類繁殖に寄与するなんてとんでもないことや。僕は類概念なんて信じてない。人類なんてなくっていい。個の集合体であるだけなんや」。

恋人・康子の「いったい、うちはなんやの?」との恋人らしい問いかけにも、「個や。たまたま女のカタチをしている個や」と言い放つ裕。相変わらずの実相寺節、いや脚本を担当した石堂淑朗節とでも言いましょうか(笑)。

康子「それやったら、何のために生きてるのかわからへん。生きながら死んでるのと同じや。それでいて生きてるのは傲慢な居直りや!」
裕「いつでも死んでやる! 僕は死ねる理由を見つけるために生きてるんや」
ホント、シビアなセリフを役者に吐かせますね・・・。


結局、康子は由紀子に紹介してもらった産科で堕胎することになるのですが・・・、堕胎手術に失敗し、二度と子どもを産めない体になったと、康子は泣きながら裕を責め立てます。

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二人のいる鴨川の三角州のすぐそばでは、裕とセクトの違う「統一と団結」派の学生がシュプレヒコールを交わしていて、裕に気づいた彼らは襲いかかってきます。彼は川を渡って逃げ・・・その逃げた先は、信一の部屋。後を追ってきた康子に裕は言い放ちます。

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「あいつらに自己批判して学校に戻るくらいなら、いっそうのこと、爆弾放り込んでやるわ!」
「あんたはいつでも自己本位や・・・」嘆く康子。





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