--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

曼陀羅 その1

2011年11月01日 00:03

曼陀羅 監督・実相寺昭雄 1971年


実相寺昭雄監督は自ら自作品の解説をするということを極端に嫌ったといいますが、それは解説をしたがらなかったのではなく、きっとできなかったのでしょう。

観念的(観念という言葉自体があまりに観念的なのですが・・・)な言葉とは、ただ何となくぼんやりと輪郭があるだけで、しっかりと説明しろといわれてもうまく説明出来ません。
初期の実相寺作品はとにかく、いくつかの“観念”的な言葉や事象を、映画という“概念”でつなぎ合わせているものですから、余計に複雑で、わかりにくくなってしまっているのです。

WS000284.jpg
〈前作『無常』に引き続き主役・裕を演じる田村亮〉

そして、近親相姦やスワッピングなどといったタブーを導入口に、哲学としてのエロティシズムや、政治、宗教、日本の土着思想にいたるまで、そのテーマは多岐にわたり、果てはレーゾンデートルという厄介な領域にまで踏み込んでしまって・・・。

ただ一つ言えるのは、1970年代初頭の日本における、もっとも切迫した題材がふんだんに盛り込まれていたということだけは、確かです。

あまりに論理的で哲学的な展開の物語を、斬新な演出で観る者を惹きつける・・・。左脳だけではなく右脳でも感じなければ作品世界についていけない。それが初期の実相寺作品なのかもしれません。

WS000532_20111004173304.jpg
〈裕の恋人・康子には、ウルトラマンのアキコ隊員役でお馴染み、桜井浩子〉

役者の表情を無視して顔を切り取ったり、アップにしたりするカメラアングルや、広角レンズを使った歪んだ画面、リアリティーを無視した場面転換・・・、観る者の関心を惹きつけておくことに、これ以上効果的な演出方法は見あたりません。

ただ、あまりに作品世界に没入してしまうと、登場人物と同じように観ている者の立つ地平をも揺るがしかねませんので、ご注意を(苦笑)。もしくは脳内麻薬が分泌される恐れもありますので、ほどほどに・・・。

WS000359.jpg
〈信一役は清水紘治、その恋人・由紀子には森秋子〉


『曼陀羅』の、大まかなあらすじは――

学生運動にドロップアウトし、官能の世界に刺激を求めていた学生・信一が、ある団体の中心人物・真木に見初められる。
その団体こそ“農業を中心とした自給自足”と“エロティシズムの追求”という二本柱を掲げる原始宗教的(もしくは原始共産的)ユートピアだった。
信一は恋人・由紀子とともに単純再生産の共同生活の中で次第に個を没していく。求めるものはただ一つ。“生きながらにして時間の感覚を失い、歴史を失う瞬間を味わう”というエロティシズムの持つ究極の恍惚。
もはや、彼は未来などという時間の概念に絶望し、“無階級の単一共同体”を求めるという学生運動時代に掲げていた理想も捨て去ってしまっていた。

そのユートピアに現れたのが、信一の友人・裕。彼は究極とも言える個人主義者で、カリスマからなる宗教的な存在を否定し、あくまで永久革命者の考える未来を信じている人物。
信一を説得し呪縛から解き放とうとするが、同じバリケードで戦ったかつての仲間も、もはや両者の間で会話が成立するはずもなかった。

そして、裕の恋人・康子がユートピアの住民によって暴行され、自殺するに及んで、裕の怒りは頂点に達する。
ユートピアのカリスマとして神々の霊媒をしていた真木の妻を犯し、土地を穢してユートピアをユートピアでなくならしめた。

住民たちは、再度、安住の土地を求めて遠く隠岐の島へと旅立つが・・・。

WS000143.jpg
〈ユートピアのリーダー・真木には岸田森。作品最後での熱演は、伝説ともなりました(笑)〉





コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://2ndkyotoism.blog101.fc2.com/tb.php/338-75c8d038
    この記事へのトラックバック


    Twitterボタン

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。