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竹久夢二と京都 その3

2011年09月27日 00:43

竹久夢二は絵画の他にもたくさんの文章を残していますが、その文章をみると古今の文人が惹かれた京都の町については、それほど好印象を抱いていなかったようにも見受けられます。

砂がき 〈『砂がき』(1976年、ノーベル書房刊行)〉

たとえば、夢二の詩や随筆を集めた『砂がき』(1976年、ノーベル書房刊行)に収められている「西京雑信」には、
東京の方から偶々訪ねて來る朋友はきまつて「京都は面白いだらう」と聞く。私はまたきまつてかう答へた。「京都つて言ふところはお金をたんまり持つて旅人として遊びに來るには好い所だが、住むに好い所ぢあないね、やつぱり東京の方がどんな生活でも出來るし、長く住んだせゐか氣樂だよ」京都へ住むやうになつてから、彼是もう半歳になる。
〈『砂がき』所収「西京雑信」より〉
と、大正6(1917)年に二年坂や高台寺に住んでいた頃の感想を述べていますが、それ以前の明治43(1910)年7月に友人宅に一ヶ月間滞在した際にも「清さん(友人の堀内清)の家がなかったら僕はとても京都に三日と居堪らなかっただろう」と語っています。どうやら京都に住む人々の閉鎖性に馴染めなかったようです。


ふるさとの笛
〈「ふるさとの笛」大正6(1917)年頃 京都の琵琶湖疏水沿いにたたずむ青年が笛を吹く叙景を描いた作品〉


他にも、この『砂がき』には大正時代の京都の様子が画家特有の観察眼で描かれ、興味深くもあります。
京都は夏のゆくことが早う厶います。夕方になると祇園囃の笛の音が、四條の方から聞えて來ます。やがて晝間から戸をおろして店先きへ屏風をならべ、軒下で「じんべい」をきた子供達がギヤマンで作つたペコペンを鳴らし、大僧小僧は屏風のまへで將棋をさし、雪洞のかげでは中京のいとはんが打水した庭先きで團扇の風をやる景色を見るのも、遠くはないでせう。
〈『砂がき』所収「西京雑信」より〉

祇園祭をみる彦乃と不二彦 〈祇園祭をみる彦乃と不二彦〉

夢二が最も溺愛した次男の不二彦。彦乃が京都にやってきた当初は不二彦が彼女になつかず、彦乃が悲しんだこともあったようですが、次第に歳の離れた姉弟のように打ち解け、夢二が撮ったスナップ写真には二人並んだものが数多く残っています。

山の街は秋の來ることが早い。高臺寺の馬場の並木の櫻の緑が褪せ、六波羅畑の玉蜀黍の黒い髯を凉風が渡るのも侘しい。
後の祇園會がすむと、この街ではもうすぐに八月盆の仕度です。昔ながらの麻のじんべいを着て、仕切袋を肩に柿色の日傘をさして往く男も、表に赤く定紋を入れ裏には屋方と藝名とを書いた澁團扇を旦那筋へ配つて歩く仲居衆の帷衣姿も、盆節季にふさはしい風景の一つで「あの頃は」と誰もがよく言ふことだが、河原の凉みがあつた頃は、「祐信畫がく」ものゝ本で見ても四條河原の夕凉は、世がよかつたやうに思はれる。昔は鎗が迎ひに出る、今は時間極めの自動車乘らぬが損なやうに、一山何文、ぎつしりつめて、老少男女を吹きわけて四條橋を渡るすさまじさ。それにしても世が世なれば、四條橋の下には、一臺十五錢と言ふ安い床が出來て、なんのことはない「夜の宿」の背景のやうな所なれど、河原の夕凉の面影を殘した唯一のもの、風は叡山おろし、水は加茂川、淺瀬をかちわたるよきたはれめもありといふ。

秋の夜や加茂の露臺にしよんぼりとうつむける子にこほろぎの鳴く
〈『砂がき』所収「西京雑信」より〉

夢二は、京都の蒸し風呂のような夏の暑さに耐えられなかったようで、大正7(1918)年8月、うだるような暑さの京都から脱出し、次男・不二彦をつれ長崎を旅行します。そこで、長崎の異国情緒を思わせる風景に大いに感化された彼は後に名作「長崎十二景」を完成させました。

長崎十二景 眼鏡橋 長崎十二景 凧上げ
〈「長崎十二景 「眼鏡橋」と「凧上げ」大正9(1920)年〉

京の街はどんな小路を歩いてゐても、きつと路のつきる所には山が見える。それは京の町が昔から言はれてゐるやうに、碁盤の目のやうに南北東西に眞直に通つてゐるから、東西北の三方には實に近く山の姿が見られる。東山が紫にかすむことも、北山に時雨が降りることも、高尾栂尾の山が紅葉することも、京の人にとつては、隨分親しみの多いことなのである。江戸の女に比べて京の女は、着物の裾をはし折つて、よく歩くことが好きだ。櫻が咲いたと言へば、折詰をこしらへて青い古渡りの毛氈をぼんさんに持たせて、嵯峨の方へ出かけて、どこの田の畦でもピクニツクをはじめる。動物園の夜櫻の下、動物の糞の匂ひをかぎながら平氣で高野豆腐をたべる。かくの如き自然兒は、江戸の女の中にはないのである。「お前とならば奥山住ひ」と唄にはあるが、深川の女にはとても田園生活は出來さうもない。
〈『砂がき』所収「上方の女と江戸の女」より〉

装幀 長田幹彦著「小夜ちどり」 装幀 長田幹彦著「舞妓姿」
〈長田幹彦・著『小夜ちどり』と『舞妓姿』の装幀〉

夢二が生涯に描いた装画はおよそ三百点。雑誌、楽譜の表紙も合わせれば千点を超えるのだとか。“祇園もの”を多く描いた小説家・長田幹彦の作品には、夢二の京都での生活が活かされたかのように、舞妓や芸妓の姿が装画として用いられました。


現在も夢二人気は絶えないようで、数多くの書籍や画集が出版されています。手軽なところでは、『新潮日本美術文庫33 竹久夢二』(新潮社)など。

新潮美術文庫33 竹久夢二 〈『新潮日本美術文庫33 竹久夢二』(新潮社)〉

少し変わった本としては、『竹久夢二写真館「女」』(栗田勇・編、1983年、新潮社刊)。
ここには竹久夢二が写した、たまき、彦乃、お葉の写真が幾葉も掲載されています。

竹久夢二写真館「女」
〈『竹久夢二写真館「女」』(栗田勇・編、1983年、新潮社刊)〉

古ぼけた印画紙の効果と相まって、夢二の描いた女性同様、彼女たちは一様に消え入りそうな表情をたたえ、本当に実在していたのかさえ疑りたくなるような儚げで美しい存在として残されています。





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