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蘆刈

2011年09月18日 01:12

蘆刈 著者・谷崎潤一郎 1932年

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「蘆刈」の初出は昭和7(1932)年11月・12月号の『改造』。

その頃、神戸の岡本に住んでいた谷崎潤一郎を思わせる主人公が、ふと月見に行くことを思い立ち、京都と大阪の境・大山崎の“水無瀬の宮”を訪れます。阪急から新京阪(現在の阪急京都本線)に乗り換え山崎で降りた主人公は、「草ぶかい在所のおもむき」残る街道を歩き、水無瀬の宮の境内へと辿り着くのです。

ここから南の方にあたって恐らくこの神社のうしろ数丁ぐらいのところには淀川が流れているはずではないか。そのながれはいま見えないけれどもむこうぎしの男山八幡のこんもりした峰があいだに大河をさしはさんでいるようでもなくつい眉の上へ落ちかかるように迫っている。わたしは眼をあげてその石清水の山かげを仰ぎ、それとさしむかいに神社の北の方にそびえている天王山のいただきをのぞんだ。

主人公は境内でひととき、『増鏡』に描かれている後鳥羽上皇も目にした風景を想い、そして街道へと引き返します。

時は、九月。月が出る間に夕餉を終えてしまおうと、うどん屋に入った主人公。
うどん屋の店主に、月を見るために舟を出したいというと、向こう岸の橋本へわたる渡船があるとのこと。

渡船とは申しましても川幅が広うござりましてまん中に大きな洲がござりますので、こちらの岸から先ずその洲へわたし、そこからまた別の船に乗り移って向う岸へおわたりになるのですからそのあいだに川のけしきを御覧になってはとそうおしえてくれたのである。橋本には遊郭がござりまして渡し船はちょうどその遊郭のある岸辺に着きますので、夜おそく十時十一時頃までも往来しておりますからお気に召したらいくたびでも行きかよいなされてゆっくりお眺めになることも出来ますとなおもいいそえてくれた親切を時に取ってうれしくおもいながらわたしはみちみちひいやりした夜風にほろよいの頬を吹かせつつあるいた。


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〈京阪橋本駅前には「橋本渡船場三丁」と書かれた石碑が建っています〉

この渡しがある中洲とは、まさに桂川が淀川の本流と合流している地点でした。

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〈google earth より 江戸時代以前には行基が架けたという山崎橋がありましたが、その後は昭和37(1962)年に廃止となるまで“山崎の渡し”として船が行き交っていました〉


うどん屋の勧め通り、主人公はこの中洲でとどまり、この沿岸が描かれている大江匡房の『遊女記』を回想していると、葦生い茂る中に、自分と同じように佇む一人の男がいて、その男から不思議な身の上話を聞く・・・という中編小説です。


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〈淀川を挟んで、橋本側から見た大山崎〉


その中洲に佇む“男”が語るのは、自らの父親の話。

“男”は幼少の頃、父親の「慎之助」にたびたび巨椋池へと月見に連れてこられました。そして決まって父親は、ある邸宅の生け垣をのぞき込むのです。その中で行われていたのは三味線や胡弓が演奏される、なんとも風流な月見の宴。
邸宅は、“男”の伯母、つまり亡くなった母親の姉「お遊さん」の家だったのです。

かつて独身だった「慎之助」は芝居小屋で「お遊さん」をみかけ心惹かれるも、相手は未亡人ながら一人の子を持っていて、もはや叶わぬ恋。
結局、「お遊さん」の妹「おしず」を「慎之助」は嫁にもらい、「お遊さん」の近くにいられることで満足をしていました。
しかし、夫の「慎之助」が「お遊さん」を慕っていることを知った「おしず」は両人に義理立てして、結婚しても夫婦の契りを結ばず、いつも三人で兄妹のように三、四年の年月を遊んで暮らしていたのです。

ところが「お遊さん」の一人息子が病死し、さらに三人の関係を訝しむ声も出てきてしまって、慎之助夫婦と「お遊さん」は疎遠に・・・。
その後ほどなく、「お遊さん」は裕福な伏見の造り酒屋へと嫁ぎ、その別荘こそが、月見の時にたびたび“男”が「慎之助」に連れてこられた邸宅でした。

“男”が生まれた頃には父の「慎之助」も没落してしまって長屋住まいという生活。さらに「おしず」に先立たれた慎之助は、仕方なく幼い“男”を連れて、身分違いの「お遊さん」を遠くから眺めて満足していた・・・という様子が語られます。
そして「お遊さん」を諦めた父と「おしず」との間に生まれた“男”は、今夜もその巨椋池へと月見に行くところだと告白するのです。

物語の最後は・・・、
わたしはおかしなことをいうとおもってでももうお遊さんは八十ちかいとしよりではないでしょうかとたずねたのであるがただそよそよと風が草の葉を渡るばかりで汀にいちめんに生えていたあしも見えずそのおとこの影もいつのまにか月のひかりに溶け入るようにきえてしまった。


この作品でたびたび指摘されるのは、能の「蘆刈」や『大和物語』の184段から影響を受けて創作された“夢幻能”の世界観が色濃く反映されているということ。

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〈淀川沿いの堤防から見た、かつての橋本遊郭への入り口〉

「橋本遊郭」につながる“山崎の渡し”の葦が生える中洲で、名も知らぬ男が語る谷崎潤一郎お得意の倒錯した男女の物語。そして話し終わった男が“ふっ”と消えてしまうという安易ながらも妖しいオチの付け方。
幽玄の世界へと誘う場面設定として、えもいわれぬ雰囲気を持った“山崎の渡し”も、残念ながら今では面影のカケラもありません。





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