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醍醐寺(上醍醐) その3

2011年09月10日 00:31

醍醐寺(上醍醐)

時は遡って・・・醍醐寺の開祖・聖宝(しょうぼう、空海の孫弟子)が山中で聖地を求めて歩いていた時、一人の老人が現れました。その老人は湧き出る泉を口にし「醍醐味なるかな」との言葉を残し、消え去ります。
そう、この山こそが求めていた聖地で、老人は山の地主神・横尾明神の化身。聖宝は明神からこの山を譲り受けます。貞観16(874)年、聖宝は笠取山山頂に庵を営み、准胝観音像と如意輪観音像の彫像、そして堂宇建立に着手。二年後の貞観18(876)年に両観音像とそれを安置する准胝堂が完成し、後に薬師堂、開山堂、如意輪堂など数々の伽藍が山上に姿を現しました。

都名所図会「上醍醐」
〈『拾遺都名所図会』(天明7(1787)年刊行)より 上醍醐〉


さて、下醍醐の伽藍を見終わりゲートを通ると・・・「西国第十一番霊場登山口」の大きな碑が建っています。

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〈「西国第十一番霊場登山口」の碑〉

ここかが上醍醐への入り口。そして入り口すぐにあるのが「成身院」、通称・女人堂です。

DSC03594_R.jpg 〈成身院(女人堂)〉

もともと、上醍醐は女人禁制の山であり、昔は女性がこの場所から山上を拝んだことから「女人堂」と呼ばれるようになりました。

DSC03597_R.jpg

女人堂前には山側から不動明王、理源大師聖宝、弥勒菩薩、役行者、地蔵菩薩が祀られています。


そして登ろうとすると・・・上醍醐に登るのに・・・・また大人600円・・・。

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〈成身院(女人堂)の隣にある庫裏〉

いや、いや、いたるところに看板がでていました(苦笑)。

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「上醍醐登山には入山料が必要となりました」「上醍醐准胝観音堂再建ご寄進のお願い」と。

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女人堂で入山料を払った際、受付のお坊さんからは「一時間くらいかかりますよ」と念を押され、参拝者が、やけに本格的な山歩きの格好をしているのに不安を感じましたが・・・この山を完全に舐めてました(泣)。
しかもペットボトルの水も持たずに、登りはじめたのはいいものの・・・歩けど歩けど、全くの山道。

DSC03603_R.jpg DSC03608_R.jpg

途中、一向に「あと何分」や「あと何キロ」の案内図さえ出てきません。石柱が点在していましたが、一丁、二丁と文字が刻んであるだけであと幾つあるのかすら、わからず・・・。

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〈どうやら、一丁ごとに1メートルほどの石柱が山道に沿って建っていて、頂上までは二十丁あったようです〉


そして途中にあるのが、「秀吉の花見跡」。全く往時の面影は感じられません。

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花見が開かれたのは「槍山」。千畳敷と呼ばれた平地には花見御殿が建てられたのだとか。

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慶長3(1598)年3月、秀吉最後の盛大な宴がこの山中で行われ、諸大名ら、およそ1300名を招いて催されました。そして栄華を極めた秀吉はその半年後に亡くなります。


DSC03614_R.jpg 〈不動の滝〉

山道の途中で不動明王が祀られている滝があり、これが「醍醐水」か?と思うも、どうやら雰囲気が違います(実際、まだこの地点は、半分にも達していませんでした・・・)。

何度か、引き戻りそうになりつつも、入山料600円が惜しくて登っているうちに、下りて来るおじさんに遭遇。親切なおじさんの「あと15分くらい」という言葉と、上に自動販売機があることを聞き、何とか足を進ませます・・・。

一つ目の峠を越え、下り坂に入るとようやく寺域らしき雰囲気が開けてきました。


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〈右の門を下がると、上醍醐寺務所〉


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寺務所のすぐそばに、醍醐という地名、寺名の由来となった霊水が今もこんこんと湧き出ています。

DSC03636_R.jpg 〈醍醐水〉

聖宝が聖地を探していた際に、横尾明神の化身である老人と会い、ここから醍醐寺の全てが始まったのです。


DSC02319_R.jpg 〈清瀧宮拝所〉

醍醐水のすぐ傍にある国宝の「清瀧宮拝殿」は室町時代の永享6(1434)年の再建で、檜皮葺の懸造り。

DSC03645_R.jpg 〈清瀧宮本殿〉

一方、拝殿の上方にある本殿は昭和14(1939)年に上醍醐の国有林より出火した山火事で焼失し、再建されたのは昭和32(1957)年と新しい建物です。
清瀧宮は弘法大師空海が長安の青龍寺から勧請した密教の守護神を祀った醍醐寺の鎮守社で、下醍醐にあるのはこの上醍醐の分身です。

DSC03646_R.jpg 〈准胝堂跡〉

醍醐水と清瀧宮のさらに上にあるのが、西国三十三箇所の第十一番札所である「准胝堂」・・・でしたが、平成20(2008)年9月の落雷によって出火、焼失してしまいました(といっても平成20年に焼失した建物は、昭和14(1939)年に清瀧宮本殿を焼いた山火事と時を同じく焼失し、昭和43(1968)年に再建されていた新しい建物だったのですが)。

そして今回の火災では伽藍だけではなく、秘仏であった本尊・准胝観音も焼失してしまいました。
火災の復旧作業により、しばらくの間、上醍醐へは入山禁止だったのですが、平成21(2009)年1月より入山規制が解除されました・・・入山料600円が課されるカタチで・・・。

とにかく西国三十三箇所の巡礼をする人々はここの准胝観音に参るために、西国一険しいと言われた上醍醐を登ってきたのです・・・が、今は鉄板のフェンスに覆われた空き地しかありません。





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