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泉涌寺 その2

2011年10月08日 01:33

花洛名勝図会「泉涌寺」 - コピー
〈『花洛名勝図会』元治元(1864)年刊行より 泉涌寺〉


DSC03327_R.jpg 〈霊明殿〉

明治15(1882)年に前の霊明殿が火災によって焼け、明治17(1884)年に明治天皇によって再建された尊牌殿で、天智天皇から昭和天皇までの歴代天皇の尊牌が祀られています。


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〈本坊(左)と、御座所(右)〉

明治15(1882)年の火災で、霊明殿とともに、庫裡・書院も焼失。そこで明治天皇の命により、明治17(1884)年の霊明殿の再建とともに京都御所にあった皇后宮の御殿を移築した建物。
中には女官の間、門跡の間、皇族の間、侍従の間、勅使の間、玉座の間などがあり、今でも玉座の間は、天皇皇后が来寺した際に休息所として使用されています。


なお、この「御座所」とそれに連なる「庭園」、さらに「海会堂」(京都御所にあった“黒戸”とよばれる仏堂を明治元(1868)年の神仏分離令にあわせて泉涌寺に移築したもの)は本来の拝観料大人500円のほかに、特別拝観料大人300円を払わなければ入れません。



DSC02136_R.jpg 〈泉涌水屋形〉

泉涌寺という寺名の起源となった泉です。今も水が湧き出ています。



DSC03330_R.jpg 〈月輪御陵拝所〉

霊明殿の東には「月輪陵」「後月輪陵」と呼ばれる陵墓があります。四条天皇から仁孝天皇までの二十五陵、五灰塚、九墓が営まれ、天皇陵の入り口の板書きは・・・、

DSC03328_R.jpg 

京都には数々の天皇陵がありますが、これほどまでに“やんごとなき”人々の名が連なった宮内庁の板書きは見たことがありません。不謹慎ながらも・・・圧巻です。

DSC03336_R.jpg

「月輪御陵拝所」の間近には近寄ることは出来ないようにロープが張ってあります。

DSC03334_R.jpg

菊の紋をかたどった手水!



泉涌寺で最も女性に人気なのが、「楊貴妃観音」です。入り口の大門を入って左手奥の小さな楊貴妃観音堂に祀られていて、十六羅漢像の中央に安置される聖観音像の通称です。

DSC03350_R.jpg

世界三大美女のひとり・楊貴妃がモデルとされ、かつては100年に一度しか公開されない秘仏でした。
湛海が建長7(1255)年に舎利殿に安置される韋駄天像と月蓋長者像などとともに中国の南宋から請来したものとされ、請来700年目の昭和31(1956)年から一般公開されるようになりました。

DSC03347_R.jpg

玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造顕させた像との伝承が残り、今も美人祈願の像として崇敬を受けているのです。


おまけ・・・、こんなところにまで「宮内」の文字が。

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