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智積院 その2

2011年08月08日 00:41

さて、たびたびの火災に遭い伽藍も比較的新しい智積院にあって、誇るべき見どころといえば・・・そう、長谷川等伯の障壁画と、名勝庭園です(ここから先は拝観に大人500円がかかってしまいますが・・・)。


桃山時代に豊臣秀吉の命によって長谷川等伯一派が描いた金碧障壁画は、当代一の大寺院であった祥雲禅寺の客殿を飾っていました。そして、度重なる火災の際にも、僧侶たちがその障壁画を真っ先に担いで逃げ延び、現在に伝わってきたのですが・・・しかし・・・、

DSC03262_R.jpg 〈収蔵庫の入り口〉

収蔵庫のちゃっちいこと、といったら(苦笑)。しかも入り口の横にはモップが置きっぱなしで・・・。
さらに「楓図」「桜図」「松と葵の図」「松に秋草図」等の国宝の障壁画は、豪華絢爛とは程遠い色褪せようで・・・ガッカリです。


一方、“利休好みの庭”として知られる名勝庭園は確かに、いいです。

DSC02107_R.jpg

この庭園は祥雲禅寺時代に原型が造られていたものを、第七世・運敞(うんしょう)僧正が修復し、東山随一の庭として『都林泉名勝図会』(寛政11(1799)年刊行)にも紹介されています。

都林泉名勝図会「智積院」 - コピー
智積院〔養源院の東にあり、真言新儀派、開基正憲法印。此地初めは豊太閤御子棄君菩提の為に創建ありて、祥雲禅寺と号す。厥后故障ありて妙心寺玉鳳院に移す、事は四巻妙心寺の部に見えたり。将軍家より覚鑁派断絶を惜み、初瀬に小池坊を創し、当院をこゝに建る〕
原当院は法住寺殿の古蹟、北は滑谷妙法院を限り、南は新態野瓦阪を限る。林泉は東に翠巒層々として深林の中に宝閣寂々たり。客殿書院倶に百花の図長谷川等伯の筆、玄関松に鶴の画も同筆なり、みな惣金極彩色なり、艸木の絵の屏風一双も極彩色にしてこれも等伯の筆なり、生涯の奇筆にして世に比類なし。
〈『都林泉名勝図会』寛政11(1799)年刊行より 智積院〉

なんでも、「正面右側より奥は祥雲禅寺時代のもので桃山時代の特色ある刈込みを主体」とし、「中央の築山は阿弥陀ヶ峰の山麓を利して造られたもので、江戸好みの感じをだしてい」るのだとか。

DSC02111_R_20110731210233.jpg

説明書きには「庭には歩く庭、立見の庭、座っての庭とありますが、この庭は座って見る庭で名勝庭園の中でも傑作の一つに数えられます」とありましたが、書院の中程から座って見る景色は確かに色鮮やかでありつつも幽玄そのもの、といった感じ。ただし、団体観光客と鉢合わせると・・・そんな風情はあったものではないかも、デス。

DSC02117_R.jpg
〈国宝の障壁画がかつて飾られていたのは、ここにあった大書院。庭園に面して建ち、平安期の寝殿造りの釣殿のように、庭園の池が書院の縁の下に入り込んでいます〉


さて、智積院の寺紋は「桔梗」ですが、これは秀吉の家臣であった加藤清正の家紋にちなんでいます。

DSC03220_R.jpg

智積院に下げ渡された祥雲禅寺は築城の名手・清正によって建てられたもので、あまりの伽藍のすばらしさに敬意を表し、そのまま加藤家の紋が使われているのだとか。


DSC03291_R.jpg
〈大書院の玄関から連なるのが七条通り〉





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