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織田作之助と京都 その2

2011年07月31日 01:00

織田作之助と京都 その2


織田作之助にとって青春時代の詰まった京都を舞台にした『それでも私は行く』ですが、青山光二の著作の中でも、織田の足跡をなぞるように当時の様子が懐かしげに出てきます。

その隙に鶴雄はさっさと路地を出て行ったが、四条の電車通りを横切って、もとの「矢尾政」今は「東華菜館」という中華料理店になっている洋風の建物の前まで来ると、急に立ち停った。
〈織田作之助『それでも私は行く』より〉
おなじみ「東華菜館」はもともと西洋料理店「八尾政」でした。1926年にウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で生まれた建物が、1945年に北京料理店「東華菜館」となり、現在に至っています。

DSC04382_R.jpg 〈四条大橋西詰めの「東華菜館」〉


先斗町の芸者が常連として通う木屋町の南車屋橋(小説中では紅屋橋)のほとりにあった「べにや」(紅屋)というしるこ屋も登場。
この店のまわりは疎開跡の空地になっているが、ここだけは巧く疎開をまぬがれたらしい。店の軒には紅屋に因んだ赤提灯が、いかにも助かりましたという感じで、京都らしくぶら下っている。
〈織田作之助『それでも私は行く』より〉


三条河原町を西に行ったところにあった「そろばん屋」という名の書店は、1980年代中頃まで営業していたようです。
鶴雄は河原町の方へ歩き出した。アンテナをつけたM・Pのジープが通ったあと、三条河原町のゴーストップの信号が青に変った。
西へ渡って、右側のそろばん屋という妙な名前の本屋へ、鶴雄は何の気なしにはいって行った。
〈織田作之助『それでも私は行く』より〉
M・Pのジープや、ゴーストップの信号という言い方が、いかにも戦後ですネ(笑)。
私は三高生の頃、河原町三条の「そろばん屋書店」でツケがきいたので、新刊書のなるべく定価の高いのを棚から抜いて包んでもらうと、その足で寺町三条を上った古書店の京屋へ行き、半値近い値段で売っては軍資金をつくったものだった。
〈青山光二『懐かしき無頼派』所収「京都・文学的回想」より〉

DSC00938_R.jpg 〈三条河原町〉


今も三条寺町の角にある、すき焼き店「三嶋亭」。
「三島亭」は古い牛肉店で、戦争前は三高の学生たちがよくこの店でコンパを開いて、
「紅燃ゆる丘の花……」
という校歌やデカンショ節をうたいながら、牛飲馬食した。当時は会費は一円か二円で済んだという。想えば昔なつかしい青春の豪華な夢であるが、しかし、鶴雄が学校へはいった時はもうコンパなぞ開こうと思っても開けず、「三島亭」のコンパも、鶴雄にとってはもはや想像も出来ない古めかしい伝説であった。
〈織田作之助『それでも私は行く』より〉
おそらく織田作之助が三高に在籍していた時代は、たびたびこの「三嶋亭」でコンパを開いていたのでしょう。青山は次のように述懐しています。
寺町三条の三嶋亭などでクラスのコンパを催すと、会費は五十銭で、仲間入りさせられる教授は一円か二円といったところ。私も一時籍をおいていたラグビー部の、先輩もまじえた年に一度の大コンパなども三嶋亭で行なわれたが、歌ったり踊ったりで二階座敷の床が抜けそうな、盛大なものだった。
〈青山光二『懐かしき無頼派』所収「京都・文学的回想」より〉


蛸薬師富小路にあった旅館「ちぎりや別館」(千切屋別館)での小田策之助こと織田作之助の生活の様子も出てきます。この時、織田の実生活では、二人目の妻となるソプラノ歌手の笹田和子と結婚し、妻の実家である笹田家に同居していたものの、二ヶ月ほどで家を飛び出し一方的に婚約を解消。京都に赴き「ちぎりや別館」をはじめ三条河原町の「秋田屋」、京都日日新聞が執筆のために用意した木屋町仏光寺の「大つる」、河原町二条上がる銅駝中学校(現在の銅駝美術工芸高校)裏の「鴎涯荘」などを移り住むという放浪生活を送っていました。そして一方では輪島昭子という元女優の愛人がいて、他方では三条河原町のキャバレーのダンサーに「織田の子を孕んだ」といわれて金をせびられそうになったりして・・・。
笹田家を出た理由も、分身“小田策之助”の口からサラッと説明されています(笑)。
追い出されたんですか、だらしがないですねときくと小田は、
「家がないんで、女房の親たちと一緒に、養子みたいに暮していたんだが、おれのものの考え方がデカダンスだというんだね。デカダンスな男とは一緒に暮せないというんだ」
「デカダンスというと……?」
「頽廃のことだと、ひとは思っているらしいが、デカダンスというのは高級な思想なんだ。つまり、デカダンスというのは、あらゆる未熟な思想からの自由という意味だ。何ものにも憑かれない精神のことだよ。たとえばだね」
と、小田は新しい煙草に火をつけて、
「――林檎は実が円熟して地に落ちる時が一番うまいんだ。これがデカダンスだ。が、日本人って奴は、偏狭な道徳への思想に憑かれているから、青くても樹になったままの林檎の実が清潔で健全だというんだね。健全たア一体なんだい」
食って掛るような口調だった。
〈織田作之助『それでも私は行く』より〉

さすが、太宰治、坂口安吾とともに、“三無頼”と並び称された織田作之助らしいデカダンスの説明です(笑)。





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