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乳の匂い

2011年06月28日 22:22

乳の匂い 加能作次郎 1940年

1940(昭和15)年8月号の『中央公論』に掲載されたのが、この「乳の匂い」で、亡くなる一年前の作品にして加能作次郎の中でも最も傑作と評される短編小説です。


この作品は「世の中へ」と時を同じくした物語です。ただし主となる登場人物は、「世の中へ」では、ほとんど触れられることのなかった“お信さん”。
“お信さん”は伯父の養女の一人で、つまり主人公にとっては義理の従姉にあたる人物です。
彼女はもともと四条の橋の下に住む乞食の子でした。“お信さん”が七つか八つの時に、彼女の器量のよさと、かわいそうな境遇に伯父が引き取ることを決め、乞食の実の親と縁を切らせたのです。


ただし、主人公が“お信さん”に初めて出会ったのは、薬屋の丁稚をしていて伯母の“お雪さん”に使いを言い渡された先でのこと。
その後も、直接“お信さん”と会ったのはたった二回のことなのですが、主人公である著者にとってタイトルとなる印象的な出来事と共に四十年経った今でも思い出される女性として描かれているのです。


当時、“お信さん”は伯父の反対した相手である“森田”の子を産み、勘当同然で西洞院の“お雪さん”の姉の家に住んでいました。そして主人公が伯父には内緒でその家に使いに行かされた際、京都に一人で出てきて心細かった彼が、人生で初めてのラムネをご馳走してもらい、名前や境遇を優しく尋ねてくれる美しい“お信さん”に心惹かれたのです。

その後も、西洞院へと使いに出されるたびに、“お信さん”との出会いを期待する主人公でしたが、いつも出てくるのは“お雪さん”の姉。そして失望に似た淋しい気持ちで四条の薬屋へと帰っていくのでした。

DSC04427_R.jpg

それから何ヶ月か経って、伯父や主人公が清水の三年坂に住んでいた時のこと。突然“お信さん”が伯父の家を訪ねてきました。
彼が隣室から盗み聞いた話によると、“森田”が仕事の関係で上海に行くこととなり、“お信さん”もついて行くにあたって、いくら勘当されている身とはいえ、親に黙っては行けないと挨拶に来たのです。
しかし、伯父は相も変わらず不機嫌なままで、話を聞こうともしません。

そして、親子は不和の関係のまま“お信さん”が暇を告げて帰る時に、主人公は坂の上の人力車の帳場まで提灯をつけて送ってやるのです。
宵を少し過ぎたばかりの帳場には、あいにく人力車の姿はなく、二人は季節外れの寒い風が強く吹く中、空車を待っているうちに、“お信さん”が自らの境遇を語ったり、彼女が彼の田舎の父親を知っていることなど聞くに及んで「知らぬ土地で、自分の親兄弟を知っているという人に出会うということは、自分自身を知っている人に会ったと同じ程度にも懐かしく嬉しく思うものである。まして日頃ひそかに慕わしく思っていたお信さんのことだった。私は実際その時お信さんを、肉親の姉のようにも親しみ深く感じたのであった。」と親愛の情をいっそう深めるのです。

そんな坂の上の帳場で、思いもよらぬ出来事が起こります。
強い風が砂塵を巻き上げ、主人公は目つぶしを食らい、目も開けられないくらいの痛みを感じます。
そんな彼の様子を心配そうに覗き上げる“お信さん”。
「礫(いし)でも入ったんかいな。一寸お待ち、矢鱈こすったりしたらあかへん。わて今取って上げまほ。」
そう言って、彼を通りから小舎へと導きました。半巾(ハンカチ)の先を唾液で濡らし、こするように拭き取ってくれても、一向にゴミはとれそうにありません。ついには“お信さん”は「何が入ったんやろ、執(しつ)こいえな。どないしまほ。舌で嘗(ねぶ)ってみまほか。」と言い出します。慌てて拒む彼をよそに、「あ、そや、それがいい。」と名案を思いついたようです。

(前略)いきなり、私の膝の上に跨るように乗りかかって、無理に顔を仰向かせたかと思うと、後はどんな工合にそうしたものか、私は眼で見ることが出来なかったが、次の瞬間、あッと思う間もなく、一種ほのかな女の肌の香と共に、私は私の顔の上にお信さんの柔かい乳房を感じ、頻りに瞬きしている瞼の上に、乳首の押当てられるのを知った。

“お信さん”は自らの乳汁(ちち)で、彼の眼を洗ったのです。

「気持悪るおしたやろ。そやけど、そんなこと言うて居られへん。外と違て、大事な眼どすよって、愚図愚図してたらあかん思うてな。」
「おほきに!」
私はまたも繰返して心から礼を述べた。
その刹那、何だか急に胸が迫って、思はず歔欷(しやく)り上げそうになった。単なる好意とか親切とかいうもの以上の、何か別のもの、謂って見れば一種人間的な、本然的な優しい真実な思ひ遣り、そういったようなものが、お信さんの胸から、じかに熱々と感ぜられたのであった。

結局この時が、主人公が“お信さん”と話した最後となるのです。
しかし彼にとっては「あの乳汁で眼を洗って貰った時の事が、一種惑わしい幻となって、絶えず私の眼の前にあった。私は温い母の懐を慕うと同時に優しい恋人の胸に憧れるような気持ちで、お信さんを思い出すのであった」と、その時の“乳の匂い”と共に生涯その出来事が鮮明に刻まれることとなるのでした。


さて、その後、主人公は21歳になり遊学のため東京に出てきます。その時、“お信さん”の近況が気になり、連れあいである森田の実家を訪れ、森田の老母からその後の彼女の消息を知ることになるのです。
“お信さん”は上海に渡った一年後には日本に戻り、森田の任地である鳥取に住んでいたものの、二年前に森田が亡くなり、森田家と“お信さん”は離縁。
主人公が京都で丁稚をしていた頃にいた子供も上海で亡くなり、上海で生まれたその下の子も、一月か二月で亡くなってしまったと・・・。

さらに森田家を訪れた時から三年ほど経った後、私立大学に通っていた主人公が郷里に帰る途中で久しぶりに京都へと立ち寄ります。その時、宮川町の“お藤さん”という伯父の養女の一人だった人から、“お信さん”の近況を知らされるのです。

「あんたお信さんを知ってお居やすな。あの人、今どないしてるお思いどす? 七条新地(はしした)で娼妓してはるんどっせ。」
「えつ! 娼妓? 本当ですか?」
あまり私の驚き方が激しかったので、お藤さんが却ってそれを不思議がって、じろじろと私を見つめた程だった。

主人公は“お藤さん”の家を辞した後、“お信さん”が勤めているという七条新地界隈へと足を運びます。

DSC01082_R.jpg
〈かつて「七条新地」と呼ばれていたのは現在の「五條楽園」〉

半時間ばかり後、私は七条新地の通りを歩いていた。五条の大橋際から下の方へ、鴨川の流れを背にした狭い、穢(む)さくるしい一筋街で、丁度六条の宿への途すがらであった。同じような格子造りの二階家が南側に並んで、娼婦の名前を沢山書き列ねた掛行燈が戸毎に掛っていたが、既にその行燈に明るく灯が入って、涼みがてらの嫖客の姿もぼつぼつ見られる頃合だった。
「ちょいと、ちょいと、お寄りやす。ちょいとお寄りやしてお行きやす。」
どの家も同じように、表格子の隅っこに、小さい桝形の窓、というよりも穴を刳り抜いてあって、そこから白い首の女が顔だけ覗かして、そう頻りに呼びかけているのであった。
私はどの顔もどの顔もみなお信さんの顔に見え、どの声もどの声も、みなお信さんの声に聞えるような気がした。そして若しも奇蹟が、私にお信さんと邂逅させたらどうだろうと思う心と、動(やや)もすれば袖をとられて、何れかの一軒へ引きずり込まれそうなのを恐れる心とに胸を轟かしながら、用ありげにすたすたと、而も二度も、端から端を往きつ戻りつした。


「世の中へ」と「乳の匂い」を読み比べてみると、どうやら、どちらか(どちらも)が純然な私小説というわけではないようです。乳汁で眼を洗うというエピソードも実際にあった出来事なのか、フィクションなのかはわかりませんが、実際の出来事だとすれば“お信さん”の無垢な優しさには驚きですし、作者の創作だとすれば小説家としての想像力に脱帽です・・・。
しかしこのエピソードは、ややもすると下品な、もしくは官能的すぎるシーンになりかねないはずが、主人公の少年と“お信さん”の持つ孤独な境遇や控えめでおとなしい性格と相まって、読者にとって忘れられない文学的一場面となってしまっているのです。





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