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世の中へ

2011年06月28日 22:21

世の中へ 加能作次郎 1918年


「世の中へ」は1918(大正7)年10月から12月にかけて『読売新聞』に連載され、加能作次郎の出世作となった長編小説です。


この作品も加能作次郎の自伝小説のうちの一つで、彼が13歳で故郷・能登を出奔する旧暦の盆から、15歳の春に伯父が再び四条で洋食屋を開業し、そこで下足番として働くまでの一年半ほどの期間が描かれています。


加能作次郎の実母は彼が生まれた年に亡くなり、その後、彼が物心も付かぬうちに継母がやってきました。
実父と継母との間には三人の子供があり、思春期にさしかかった彼は継母との折り合いも悪く、また貧しい家では中学校に通わせてもらえそうにありません。さらに持病の足の関節炎も悪くなる一方で、13歳にして自ら人生に活路を見いだすべく、継母には内緒で故郷を“出奔”することを密かに計画。父親にだけ気持ちを打ち明け、勉学が出来るかも知れないという希望を胸に、京都に住む資産家の伯父の元へと向かうのです。
私が居る為に、家の中がいつも陰気で湿っぽく、父までがどんなに人の知らない心の苦労をして居たか知れなかった。私は子供心にもそれを感じながら、味気なく淋しい日々を送って居た。殊に私の為に唯一の味方であり、不幸な境遇を共に憐れみ合って居た姉が京都へ行ってからは尚更だった。
京都行きを決断したのには伯父の存在とともに、三つ年上にして同じく13歳で能登を出て、伯母の営む六条の宿屋で働いていた実姉の存在も大きかったようです。

継母が寺へお盆のお参りに行っている間に、仏壇の前で父親との別れを描くシーンや、父の手はずで用意してあった船に乗り、だんだん村から遠ざかりつつある光景を眺めながら、大きな寺の本堂にいる父親を思い浮かべ「父は恐らく説教も耳に入らないだろう。父は折々後を向いて沖の方を眺めるに違いない、そして穏やかな、日光に光った海を沖から沖へと馳せて行く此の小舟の中の私を思いやって居るであろう。」と想像する情景は、なんとも切なく感動的。

そして突然深夜に京都六条の宿へと現れた彼を、伯母も姉も驚きながらも快く迎え入れ、姉にいたっては京都が自分のものと言わんばかりに、弟を東山へと見物に連れ出し、嬉々として街を自慢するさまは心温まります。しかし「能登へ行ったかて、お母さんも居らへんし、妾等(わてら)は京の者になろえな。」と街の路傍に立ち止まって弟に諭すように呟く言葉が物語るように、彼にとっては伯父の家に身を寄せることが唯一残された希望だったのです。

DSC04929_R.jpg

そんな希望を持って「世の中へ」出たはずの彼を待ち構えていたのは、毎日、気むずかしく苦り切った顔をしている伯父の姿。
伯父は四条大橋の西詰めで一階では薬屋を、二階と三階で「浪華亭」という宿屋を営んでいました。しかも本妻の“お文伯母”は別宅にいて、妾である“お雪伯母”と一緒に住んでいるという複雑な人間関係・・・。さらに伯父はかつて何人かの妾がいたり、そして実子のいない伯父には幾人かの養子がいたりして・・・。

複雑な人間関係に気を遣い、時には打擲するヤクザ気質の伯父の顔色をうかがいながら、彼は「学校に通いたい」という本来の目的も口に出せず、退屈で窮屈な薬屋の丁稚として奉公する日々を送るのでした。

仕事にも慣れ、人から「いい丁稚となった」と褒められれば褒められるほど、「自分の望みに反することだという気がして居た。ああして薬屋の丁稚をして居て、行末どうなるのだろうというような考えが漠然ながら私の胸にあった」と著者はたびたび、当時の不安を主人公に口にさせています。


小説が語る一年半の間には・・・、

伯父が四条の店を人に貸し、清水の三年坂に別荘を建てて、伯父、お雪伯母、そして主人公の三人がそこに移り住んで隠居同然の生活をしたり、
主人公が意を決して、夜学に出してくれと頼むものの、学問嫌いの伯父に烈火の如く怒られ、
彼の持病であった関節炎が悪化し、三ヶ月に及ぶ病院生活を余儀なくされ、その間に看護婦の藤本さんに淡い恋心を抱き、彼女から『金色夜叉』や『不如帰』を借りて文学的な目覚めを覚え、
見舞いに能登からはるばるやってきた父親との感動的な再会があり、
事業好きな伯父が清水で勧工場を開き、
伯父の本妻である“お文伯母”が亡くなり、
もう一度、伯父が四条に飲食店を開く計画を準備し出した矢先に“お雪伯母”が腸チフスを患い入院し、
厳しいはずの伯父が彼に二十五まで辛抱して働けば、暖簾を分けて好きな店を出させてやると心優しい言葉を掛けてくれたり、
六条で宿屋を営んでいた伯母が亡くなり、
目を患った“お雪伯母”が医者に通わずに行者の祈祷にすがるようになったり、
そして、主人公の姉が私生児を産んで、六条の宿屋を追い出されたり・・・。

DSC04393_R.jpg


短いたった一年半の間に、主人公を取り巻く環境は目まぐるしく移り変わり、最初、薬屋の店番に出た頃には「お出でやあす」「お帰りやあす」といった掛け声さえも恥ずかしくて言えなかった主人公が、再度、伯父が店を出した四条の食堂の店開きの日には、下足番として、
『お出でや――す。おあがりや――す。』
『お帰りや――す。』
私は声を張りあげて間断なく呼ばわって居た。
と、変貌を遂げているのです。
タイトルの「世の中へ」は京都に出てきた彼を指していたのではなく、様々な人間関係や人生の機微を思い知らされ、学問への断ちがたき思いはさておき、下足番という仕事を与えられて一所懸命生きる溌剌とした彼の姿を言い表していたのでした。





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