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迷児

2011年06月28日 22:20

迷児 加能作次郎 1918年


「もう二十五六年前、数え年の七つの時であるが、私は本家の叔父に連れられて、京都へ行ったことがある。」
この文章から始まる短編小説「迷児」の初出は1918(大正7)年6月号の『早稲田文学』でした。

まだ著者・加能作次郎が郷里を出奔する前の幼い日の出来事を綴った小説です。京都で仏壇屋を営む祖母の家にやってきた秋から冬にかけての寒い時期、見知らぬ街で迷子になった時の、ほんの短い小品ですが、短編の名作・志賀直哉の『小僧の神様』や芥川龍之介の『トロツコ』に比す、いえ、それ以上の名作の匂いが漂っています。


あらすじは・・・、

能登から京都へと人生初の長旅で寝小便の心配をする主人公。案の定、途中で泊まった宿でも寝小便をしてしまい、叔父に怒られはしまいかとビクビク恐れるような小心者で健気な幼き日の著者が主人公です。

主人公の父親は幼い三つの頃に京都から能登へと養子に出されたこともあり、祖母は遠くに住む末っ子を気遣い、さらにその子の息子で能登からはるばるやってきた主人公をも「恭やん」と呼んで、たいそうかわいがってくれるのでした。
私は別段淋しいとも思わず、その日から祖母の家の子供のようになって居た。口にしたこともない旨いお菜を食べたり、従兄姉達と一緒におやつのお菓子を貰ったり、見物に連れて行かれたりして、田舎で継母の側に居るより、どんなにいいか知れぬと、子供心にも思った。着物も、常さんといって、私より三つ位年上の、従兄の古いのらしいのを着せられた。
と楽しい日々を過ごし、田舎では着たこともなかった羽織を着せられもしたのです。

ある日、幾度か行ったことのある六条に住む伯母の家へ一人で遊びに行った帰りのこと、主人公は迷子になってしまいます。六七町しか離れていない伯母の家と祖母の家を、その時は何故か一人で帰れなくなって、道を尋ねる勇気もないまま、ついに泣き出してしまうのです。

そこに声を掛けてくれたのが「四十頃の角帯をしめた優しそうな小父さん」でした。
ところが、小父さんに祖母の家の町名「万年寺」を告げたにもかかわらず、彼の発音が悪かったのか「万寿寺」とでも聞こえてしまったのか、歩けど歩けど、見知った家には辿り着きません。いつしか四条大橋に出て、夕暮れも迫ってきました。

DSC00574_R_20110628134008.jpg
恐らくその人は、私を途中に撒き捨てたかったに違いない。撒こう撒こうとして居たのかも知れない。けれどもその後から、とぼとぼと、泣きながら従いて来る私を見ては、さすがに捨てるに忍びなかったのであろう。
幼い主人公の目にも小父さんが困り果てているのがわかるものの、彼も見知らぬ土地ではこの小父さんについて行くしか仕方なかったのです。

ところが、人通りの淋しいところに来て、ついぞ小父さんは立ち止まり、泣き出す主人公をなだめながら、「一寸ここに待っといなはい、じき帰って来るよって。」と主人公が追いかけようとする間もなく、立ち去りました。
そして意外にもすぐにその小父さんは戻ってきて、彼に言うのです。
「今晩、芝居見に連れてってやろ。それでな、あて、今、家へ行って子供連れて来るよってな、おまはん、それまで此処に待っといで。」
(中略)
「それでな、家の子は羽織持ってへんのや。何なら、おまはんの其の羽織貸してんか。」
そう言って、小父さんは豆板菓子を三枚、彼の手に握らせ、背後にまわって羽織を脱がせにかかったのです。
「じき戻って来るよってな、泣かんと待っといなはい。」との言葉を最後に小父さんは路地の奥へ姿を消し、もちろんそれ以降、姿を現すことはありませんでした。

すっかり日が暮れ、大声を張り上げて泣き叫ぶ彼を大勢の人が取り囲み、ようやくその中の一人が、祖母の家がある「万年寺」まで送り届けてくれたのです。

祖母の家に帰った主人公はひどく叱られながらも、よく無事であったと皆から喜ばれ、そして事の顛末を聞き及ぶにいたって、「羽織を持って行った人は善い人であったか悪者であったかということについて、暫く皆の間にいろいろ議論され」、結局、「駄菓子の豆板三枚で絹の羽織を騙り取られた私の愚直が皆を笑い興じさせる種となった」のです。

著者は最後にこう締めくくっています。
あの人は、私を京の街中連れて歩いて、終いに羽織を持って行ったまま帰って来なかったあの人は、どうしたろう?――私は時々その人のことを憶う。もう死んで了ったであろうか? それともまだ生きて居るだろうか? そして二十五六年前に出会ったあの小さな出来事が、今だにあの人の記憶に残って居るだろうか? 或いはまた曾て一度でもその事を思い出したことがあったろうか?

善人だったのか悪人だったのか、わからない小父さん。この小父さんを責めるわけでもなく、自分の愚直さが引き起こした笑い話として綴る、そんないかにも著者の優しさと人としての上品さが滲み出た最後の括り方が、後味のよい小説に仕立て上げているのです。

白樺派の多くの作品に見られるような、単なる人道主義や理想主義や人間礼讃ではなく・・・、おそらく宿命としての貧しさと、生来の体の弱さを背負わされ、人生の艱難を味わってきた著者・加能作次郎だからこそ描けた、一服の清々しさと人間の生臭さを同時に感じられる名作なのです。





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