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オレンジロード急行 その1

2011年05月21日 01:54

オレンジロード急行 監督・大森一樹 1978年

オレンジロード急行p


初期の大森一樹はやっぱり、いい! と思える一作です。
特にこの『オレンジロード急行』を観ていると、映画で生計を立てていこうといった気負いも感じられず(もちろん、あったのでしょうが)、まさか後年、商業映画監督の代表みたいになって大学で教えているなんて想像もできず・・・単なる映画好きの青年が楽しんで撮っている作品との“初々しく輝かしい”印象しかありません。
まあ、しかし、初期作品といっても『オレンジロード急行』(1978年)、『ヒポクラテスたち』(1980年)、おまけして『風の歌を聴け』(1981年)までですがネ・・・。


1977年に脚本『オレンジロード急行』で第3回城戸賞を受賞したことがきっかけで、それまで自主映画一辺倒だった京都府立医科大学の学生・大森青年に商業映画を撮影する道が開けます。
ちなみに、城戸賞とは現在も続いている脚本の賞で松竹の元会長・城戸四郎から名付けられました。「これからの日本映画の振興には、脚本の受けもつ責任が極めて大きい」との城戸の持論に基づき、新しい人材を発掘し、活動を奨励することを目的として1974年から始まった賞で、人気脚本家だった野沢尚は第9回の城戸賞に佳作入選したこととがきっかけで、プロの道に進んでいます。

『オレンジロード急行』に出てくる若者や、『ヒポクラテスたち』の学生たちをみていると、1952年生まれの大森一樹は“学生運動の時代”にどうも乗り切れなかった(少し距離を置いていた)人との印象。その、どこか時代を冷めた目(一歩引いた目)で見ている(見られる)距離感が、これらの名作を生み出しえたのでしょう。

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この映画に登場するのは、放送機材を積んだトレーラーで京都中を駆けまわり、海賊放送を流しながら警察から逃げることを“楽しんでいる”五人の青年。
そしてもう一組は、東京から自動車泥棒を繰り返しドライブを“楽しみながら”和歌山へと向かう老カップル。嵐寛寿郎と岡田嘉子扮するこの老人カップルが、泥棒した自動車の後部座席に子どもが乗っていたことから、大騒動の誘拐事件へと発展し、海賊放送の青年たちを巻き込んだロードムービーに仕上がっているです。

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青年も老人も、その時を“楽しみ”ながらも、いつか終わりが来ること、終わらせなければならないことをわかっていて・・・、そのことに気づきながらも止めることのできない人生のように、警察に追われながら終着地点である「オレンジの国」和歌山へと向かって物語は進むのです。

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ロードムービーの様相を呈しているとはいえ、この映画が語っているのは“戦前戦中を生き抜いてきた老人の力強くしたたかな行動力”と“モラトリアムから脱却できない青年の甘え”。青年たちの行き場を失った“甘ったれた遊び”と老人の“遠く失われてしまった思い出”が最後の場面のミカンの枝で繋がったとき、熟しきっていないミカンのように甘酸っぱい爽快感がカタルシスとなって感じられれば、この『オレンジロード急行』はその人にとって名作になるでしょうし、感じられなければフツーの青臭い映画で終わるのでしょうし・・・。

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しかし、どちらの世代にも共通しているのは“郷愁”なのでした。遠い郷愁にかき立てられ大胆に自動車泥棒を繰り返す老人と、近い郷愁から抜けきれずにずるずると海賊放送を続ける青年。


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この作品はDVD化もされていないことから、あまり紹介されることのない作品ですが、いい映画(のはず)ですので、またまた長~いあらすじを交えて、才能豊かだった頃の大森監督を偲んでみましょう。





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