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パッチギ! その3

2010年09月25日 01:49

そもそも「イムジン河」が出来るきっかけは、ザ・フォーククルセダーズのデビュー曲「帰って来たヨッパライ」の作詞も担当した松山猛が、学生時代の朝鮮人の友人に教えてもらったメロディーがはじまり。

そのメロディーを、まだ20歳前だった友人の加藤和彦に口頭で教え、加藤が採譜して作った曲が「イムジン河」で、加藤は龍谷大学の学生でした。
当時はまだアマチュア時代の“フォーク・クルセイダーズ”で、「イムジン河」が初めて音源になったのは1967年。
フォークルの解散を記念して、製作費23万円で自主制作アルバム『ハレンチ』を300枚制作します。この中に、「帰って来たヨッパライ」と「イムジン河」も入っていたのでした。

アルバム『ハレンチ』が好評を得、頻繁に地元ラジオ局で流されるようになり、解散するはずのグループが一転、メジャーデビューをすることになるのです。
そもそも加藤はデビューに反対でしたが、乗り気の北山修の説得に折れ、1年限りでプロとして活動することを決意します。
メジャーデビューを機に、加藤に請われメンバーに加わったのが、はしだのりひこ、でした。

「帰ってきたヨッパライ」がいきなりのミリオンヒットとなり、満を持しての2曲目がアマチュア時代から好評を得ていた「イムジン河」のはず、だったのです・・・。

原曲は、臨津江(イムジンガン)で分断された朝鮮半島を歌った曲で、臨津江を渡って飛んでゆく鳥を見て、北朝鮮側から分断された祖国への思いを募らせる、という内容でした。
原曲には歌詞の3番はなく、しかも松山が友人から教えてもらった歌詞は1番だけだったそうで、2番と3番の歌詞は松山猛の全くの創作だそうです。


加藤和彦は『パッチギ!』DVDの特典映像で、「東芝レコードが、ソ連の方と韓国側からクレームがきたと言ってきた。いろんな理由あるのだろうが、ソ連側の方は国名を明記しろと言うことだった。(『北朝鮮』は)そもそも国名として認知されておらず、表だって書けないということで東芝が遠慮した、びびったというか、そういうことでしょう』と語っています。

実際、発売元の東芝音楽工業に、朝鮮総連が作詞作曲者の名を明記することと、原詞に忠実に訳すことを求めていた、ともいいいます。
レコード会社は国交のない北朝鮮の名を出すことを躊躇い、韓国も北朝鮮の曲が日本でヒットすることを望まず、発売自粛となったようです。

結局、「イムジン河」が発売されるのは、2002年、発売中止から34年の歳月を経てのことでした。この発売がなければ、映画『パッチギ!』もなかったのです。


この映画を彩るもうひとつの名曲「悲しくてやりきれない」。劇中ではオダギリジョーが味のある歌声を披露しています。
発売自粛となった「イムジン河」の代わりに2枚目のシングルとして発売されたのがこの曲ですが、
「イムジン河」が発売中止となったため、急遽、代わりの曲をつくらなければならなくなった加藤が、音楽会社の会長室で3時間缶詰になり作った曲で、
「イムジン河」のコード進行を反対からたどっていった時にひらめいた曲といわれています。

パッチギ!_20100925011835





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