--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

モルガンお雪 その4

2011年05月16日 00:27

雪が日本に帰ってきたのは、1938(昭和13)年。彼女はすでに50代半ばを過ぎていました。
帰国の理由については、愛するタンダールの死、世界情勢の不安、そして日本に待つ姉の存在も大きかったようです。特に仲のよかった次姉・スミの体調が思わしくなく、姉のためにも身近にいてやりたいとの思いが強まったようで。
ただ、30年近くに及ぶフランス生活で、彼女の日本語はカタコトとなっていました。

IMG_0009_R.jpg
〈帰国途上の雪 『モルガンお雪』(著者・小坂井澄、1984年、集英社文庫)より〉

彼女は帰国に際し、結婚当初と同じ人々の狂騒で迎えられます。むしろ30年の時を経て、彼女の存在はもはや伝説となっていました。マスコミは報道合戦を繰り返し、実家の「加藤楼」には野次馬が群がり、そのほかにも莫大な財産目当ての銀行の勧誘員や各所からの寄付の依頼・・・。その興味の矛先は相変わらずモルガン夫人としての彼女の巨万の富だったのです。

日本に帰ってきても、彼女は日本国籍を回復せず、死ぬまで無国籍を貫き、モルガン姓を名乗り続けました。その理由には、(タンダールと結婚しなかった理由と重複しますが)モルガンの未亡人としての誇りを持ち続けたいという強い意志とともに、遺産相続権を失いたくないとの考えも含まれていたようです。

ただし太平洋戦争前夜、陸海軍への献金には積極的でした。仮にも敵性語となりつつある本名「ユキ・モルガン」を名乗り続けたい彼女にとっては、軍部から睨まれないためにも、持ち帰った宝石の数々を売ってまでも献金していたようです。
また、モルガンやタンダールと過ごした長いフランス生活で、彼女はカトリックへの信仰に目覚めていたこともあって、住まいの近くの河原町教会の日曜ミサを欠かさず、多くの寄付をし、それと同時に加藤家の菩提寺にも寄進を惜しみなく施していたといいます。

モルガン姓を名乗るがゆえに、また、厚い信仰心から戦時中にもかかわらずミサに出かける雪には、特高警察からスパイの嫌疑をかけられ・・・。そんな彼女に追い打ちをかけるように、太平洋戦争中は彼女の持つ遺産の利子収入や株の配当送金は停止。さらに戦後、一方的に雪には遺産相続権がないものと見なされアメリカからの送金は停止されたままで、日本の銀行にあった預金もインフレ政策の預金封鎖によって引き出しを制限され、後に遺産相続権が回復するまでの戦時中を含めた10年間ほど、彼女はモルガンの未亡人たり得ない、貧しい生活へと追い込まれてしまいます。

戦争末期、大徳寺山門の斜め前にある質素な借家に引っ越し、亡くなる1963(昭和38)年まで、彼女はここで静かに過ごします。日本に帰ってきてからずっと雪の家の手伝いをしていた女性を養女に迎え、そして、財産相続権が回復した後も、慎ましやかな生活は変わらなかったようです。

カトリックへの信仰心は終生持ち続け、1952(昭和27)年には洗礼を受け「テレジア」という洗礼名を与えられています。「テレジア」とはフランス生活で彼女の信仰の支えとなった聖女の名でもあったのです。
そして、1958(昭和33)年に完成した現在の衣笠教会聖堂の建設費の大半は雪の寄付によるものだそうで・・・、彼女の死までこの事実は伏せられていました。





コメント

  1. mitch | URL | 79YuviS6

    お雪さん

    ご無沙汰です。このお雪さんの話面白かったです。
    数奇な運命に翻弄されつつ(男運は無かったですね)懸命に世界で生きた人生に
    京都女性の芯の強さを感じます。
    しかし日本人なり日本社会の持つ閉鎖性、異質の者への差別を思うとき
    日本に帰ってきてからの幸せ感は無かったでしょうね。つらい毎日であった中で
    信仰とお金が唯一の頼りであったと推測します。
    今年夏ニースに一泊します。何か彼女と同じ空気を吸えること楽しみにしたいと思います。ところでお墓はどこにあるのでしょうね?

  2. t.okuno | URL | -

    mitchさん、いらっしゃい。

    東福寺の塔頭とカトリックの衣笠墓地に分骨されているらしいです。
    幸せだったかどうかは、本人にしかわからないものです(苦笑)。

  3. たかこ | URL | mQop/nM.

    本当は

    本当のところ、彼女は随分したたかな女性だったと見受けられます。
    結婚には嫌がっていたくせに、
    財産のためにモルガンの名を無国籍を通してまで保持し、
    次に付き合った男とは結婚せず、
    モルガン一族と裁判をし、
    日本軍に賄賂を送り、
    すべてはお金に固執したものであったことが分かりました。
    ついでに、成人してから海外に行ったのに、片言日本語になった、
    というのはありえません。
    自分はその辺の日本人とは違う、と言わんばかりの演技ですね。
    実態は嫌な女だったということです。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://2ndkyotoism.blog101.fc2.com/tb.php/243-1abfbae8
この記事へのトラックバック


Twitterボタン

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。