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モルガンお雪 その3

2011年05月16日 00:27

1904(明治37)年1月20日に横浜で結婚式を挙げた雪とジョージ・モルガンは、すぐにアメリカへと旅立ちました。ただしアメリカでの生活は雪にとってもモルガンにとっても心地いいものではなかったようです。特に夫と義母との関係は悪く、また東洋人を拒絶する社交界の雰囲気もあったようで・・・。
1905(明治38)年には一年二ヶ月ぶりの里帰りをし、新聞が大々的に報じるものの、二人は好奇の目で見られることが多く、日本もまた居心地のいい場所とはなりませんでした。

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〈一度目の帰国の際、東福寺の境内で母・琴と姉・スミと写真におさまる雪(左) 『モルガンお雪』(著者・小坂井澄、1984年、集英社文庫)より〉 

二年弱の里帰りを終え二人が向かった先は、フランス。ここが雪にとって安住の地となるのです。

ところが、フランスでの生活も10年に満たない1915(大正4)年に夫ジョージ・モルガンが心臓麻痺で急逝。モルガンが44歳、雪が34歳の時でした。
彼が残した遺産は約100万ドルで、そのうちの60万ドルが雪に渡されます(この時の60万ドルとは、余裕ある暮らしができていた高等官の年俸が1000円の時代に、120万円にあたります)。
未亡人となった雪は、パリからマルセイユ、そしてニースへと移るものの、第一次世界大戦中も含めてフランスの地から離れませんでした。日本やアメリカに比べれば、人の目を気にすることなく自由で開放的な生活が送れたのでしょう。
結局、1911(明治44)年の三度目の里帰りを最後に、日中戦争の最中である1938(昭和13)年に日本に戻るまでの27年間を一切フランスから離れず、この国に染まりきってしまうのです。日本語での会話もままならなくなるほどに。

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〈フランス時代の雪 『モルガンお雪』(著者・小坂井澄、1984年、集英社文庫)より〉

夫モルガンが亡くなってから、フランスに住み続けた雪の周囲には一人の男性の存在がありました。それが、フランス陸軍士官であったサンデュルフ・タンダール(1877年―1931年)です。

二人の出会いは定かではないものの、モルガンが亡くなった翌年の1916年頃、第一次世界大戦下のパリを離れ、南部の都市・マルセイユに越してきて、二人の生活が始まったようです。

タンダールは陸軍士官でありながら学問にも興味と造詣が深く、1914年には彼が編纂に携わったカンボジア語とフランス語の辞書がパリ外国宣教会により出版されていました。周囲の人物から雪は“マダム・タンダール”と呼ばれ、タンダールの妻だと思われていたようです。

かつての恋人・川上俊介を支えたと同じように、彼女の生まれもってのパトロン気質に火が付いたのでしょうか。
1931年に彼が突然の心臓発作で急逝するまでの15年間、タンダールの学者としての研究生活を支えたのです。

では、どうしてタンダールとの結婚に踏み切らなかったのでしょうか。
モルガンの死により、アメリカに戻らずフランスにとどまった彼女には国籍が自動的に剥奪され、無国籍となっていたことが原因とも(雪は終生、無国籍を貫きます)、再婚により巨額の遺産を没収されることを懸念していたとも、考えられます。





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