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モルガンお雪 その2

2011年05月16日 00:26

加藤雪(1881(明治14)年―1963(昭和38)年)は寺町六角の刀剣商を営む家の四女として生まれます(名前の表記は、仮名で“ゆき”とも“行”とも)。
しかし幼い頃に家は傾き、さらに父親が亡くなると、1895(明治28)年、14歳の時に歳の離れた姉たちの後を追って芸妓の世界へと入りました。
そして、後の夫となるジョージ・デニソン・モルガン(1871年―1915年)と出会ったのは、長姉・ウタが営む祇園新橋のお茶屋兼置屋「加藤楼」から芸妓として店に出ていた時でした。

モルガンとは、もちろん「モルガン・スタンレー」や「JPモルガン」で知られる、あのモルガンのこと。
ジョージ・モルガンは、当時世界一の富豪といわれたモルガン財閥の創始者・ジョン・ピアポント・モルガン(1837年―1913年)の甥に当たる人物で、多くの旅先の中でも日本をいたく気に入り、1900(明治33)年から横浜に住み着いていました。

IMG_0005.jpg
〈ジョージ・デニソン・モルガン 『モルガンお雪』(著者・小坂井澄、1984年、集英社文庫)より〉

花街にあっても特別目立つ存在ではなかった20歳の雪が、1901(明治34)年、偶然あがった座敷で30歳になっていまだ独身のジョージ・モルガンに見初められ、3年にわたる熱烈な求婚を受け続けるのです。

ところが、雪には将来を誓い合った川上俊介という10歳も歳の離れた恋人がいました。二人が知り合った当時、俊介は東京に住む一介の下級官僚で、公用で京都に来ていて、その宴席で雪と知り合うのです。
後に彼は役所を退官し、大阪での保険会社や銀行勤めを経て、京都帝大の書記をしていた頃、二人は親密な関係となります。彼女は芸者とは思えぬ地味な服装で彼の借りている南禅寺近くの部屋に通っては、甲斐甲斐しく身の回りの世話をしていたのだとか。
俊介は鹿児島県の出身で熊本の五高を出たものの経済的な理由で大学へは進めませんでした。ところが大学で勤めはじめた30歳近くになって突如向学心が芽生え、大学への入学を決意します。
雪も彼に将来を託し、自分の小遣いを切り詰め、金銭的な援助をしていた矢先に出会ったのがジョージ・モルガンでした。モルガンから雪に手渡される小遣いは、そのまま俊介への援助金ともなっていたのです。

そして貴重なお客であり“金ヅル”ではあったものの、あまりに執拗なジョージ・モルガンからの求婚に辟易していた彼女は、4万円という常識外の落籍料をふっかけ、彼の思いを諦めさせようとしたようです。

ところが、このモルガンからの熱烈なプロポーズや4万円という法外な落籍料が世間の知るところとなり、“四万円の芸妓”“モルガンお雪”という渾名が喧伝され、人々から嫉妬や好奇の目で見られるようになってしまうのです。

人々の口の端に上っていたまではいいものの、この名が新聞各紙に載り、さらには芝居の演目にもなり、「モルガンお雪織」という西陣織の帯地や反物まで出る始末・・・。この世評が遠く鹿児島にいる俊介の両親の耳まで届き、両親は雪との結婚に大反対。俊介も年老いた両親を安心させたい一心で、雪には内緒で郷里の女性と婚約をしてしまったのです。

そんな出来事を雪はつゆ知らず、俊介は京都帝国大学法科大学政治学科を卒業し、浪速銀行に就職するため大阪へ。音沙汰のない俊介の元へと雪が訪ねて行ったときにはもう遅く、その時になって初めて彼の気持ちが冷めていることに気づくのです。

俊介がこの“モルガンお雪”を巡る狂騒に耐えられず、彼女の元を去ったのは致し方のないこと(一説には雪の幸せを願って俊介自らが身を引いたとの話も伝わっています)。
そして夢を託した俊介を失った雪が、徐々にジョージ・モルガンの熱烈な求愛に傾いていったのも当然の成り行きでした。


さて実際、4万円という身請金が雪に払われたのかどうか・・・。雪本人や家族は否定していたようで、真相は謎のままです。しかしジョージ・モルガンは雪との結婚に際して10万円の現金を用意していたという話もまことしやかに囁かれ・・・。


余談ですが、川上俊介のその後を『モルガンお雪 愛に生き信に死す』(著者・小坂井澄、1975年、講談社刊)によると、浪速銀行の東京支店長まで出世して退職。東京瓦斯電気工業株式会社、大阪舎密工業株式会社、帝国製糖株式会社などの重役を務め、1922(大正11)年に61歳で亡くなっているそうです。

この人と結婚していれば、雪の人生は慎ましいながらもそれなりに幸せだったのかもしれませんね。





コメント

  1. | URL | mQop/nM.

    川上俊介氏が亡くなられたのが1922年であれば、1904年には43才くらい。お雪よりも10歳の違うということは、お雪は33歳きらい。
    1881年生まれのお雪は1904年当時は23才。
    計算しても合わないのではないかな・・・

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