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鴨川の三角州 その2

2011年04月22日 01:38

出町柳という地名は、鴨川右岸の河原町今出川付近の地名としてあった「出町」と、鴨川左岸(現在の叡山電車「出町柳駅」周辺)の地名であった「柳(柳の辻)」の二つの旧地名を合わせたものです。

河合橋よりDSC04480
〈河合橋より叡山電鉄「出町柳駅」と大文字山を望む〉

かつて鴨川の三角州は今よりもっと距離が短く、出町橋と河合橋は一本の長い橋だったのだとか。京の町への洛北の入り口として江戸末期に架けられた木造で簡素な長い橋は(ちなみに、現在の賀茂大橋の場所には橋はありませんでした)、大正の初めに三角州が現在の形に整えられると、出町橋と河合橋という二つの橋になったのです。

ただし、河合橋は先に述べたように武田五一設計の頑強な橋であったものの、出町橋は木造のままで、1935(昭和10)年の鴨川大洪水で流され、再度の木造での建設を経て、1954(昭和29)年に現在のコンクリート造りの橋になりました。

DSC01364_R.jpg

1951(昭和26)年公開の新藤兼人監督の『愛妻物語』にはコンクリート造りに立て替えられる前の、木造だった出町橋を見ることができます。

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〈『愛妻物語』監督・新藤兼人、1951年、大映〉



この出町界隈は、大正時代に大きく町並みを変えることとなります。

江戸の面影をまだ残していた大正初期、この界隈を走る今出川通りや河原町通りは、今のような幅広の道ではなく、ほんの裏通りの一つに過ぎませんでした。むしろ表通りは、寺町通りであったのです。

賀茂大橋よりDSC04457_R
〈河原町今出川の交差点〉

ところが、明治末には京都で市電の敷設がはじまりました。

1917(大正6)年には烏丸今出川―寺町今出川間の市電の開通により今出川通りが拡張され、1924(大正13)年には寺町今出川―河原町今出川間が開通。と同時に南北の通りも河原町今出川―河原町丸太町間が開業し、河原町通りが現在の幅に拡張されました。

1925(大正14)年には京都電燈が叡山線(現在の叡山電鉄)を開通させ、1931(昭和6)年に賀茂大橋が竣工。同年、市電も河原町今出川―百万遍間を開通させて、ようやく現在の町並みになったというわけです。

賀茂大橋よりDSC04453_R
〈賀茂大橋より大文字山を眺める〉



飛び石は渡って遊ぶためだけの理由であるのではなく・・・、

DSC01359_R.jpg

川底にコンクリートブロックを敷き詰める護床工事の際に設置され、水の勢いを弱めるとともに、川底が削り取られるのを防いでもいるのです。

DSC01355_R.jpg DSC01356_R.jpg

四角形や亀の飛び石の他にも・・・千鳥の飛び石も。



アオサギ、コサギ、カモ・・・などは人影に逃げることもなく、水辺で戯れています。

DSC01402_R.jpg



ここは昔から、ドラマや映画のロケ地として使用され、紹介するのもやや食傷気味なのですが・・・、

『愛妻物語』(監督・新藤兼人、1951年)
『曼陀羅』(監督・実相寺昭雄、1971年)
『お引越し』(監督・相米慎二、1993年)
『きょうのできごと』(監督・行定勲、2003年)
『パッチギ!』(監督・井筒和幸、2005年)

WS000113_R_20110420114454.jpg 〈『パッチギ!』より〉

『クローズド・ノート』(監督・行定勲、2007年)
『鴨川ホルモー』(監督・本木克英、2009年)

WS000003_R.jpg 〈『鴨川ホルモー』より〉

・・・などなど。
ただ、町並みの変遷を映し出しやすい場所がらから、現代劇でしか使えませんね。

DSC01430_R.jpg





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