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精神病治療発祥の地 岩倉 その4

2011年04月16日 00:57

精神病院について語ることは、タブーとされてきたのでしょうか。精神病院の成り立ちを系統立てて論じた書物は長らくありませんでした。
ところが、平成10(1998)年に出版された『精神病院の起源』(著者・小俣和一郎、太田出版)は、日本における精神病院の歴史を初めて顧みた興味深い読み物だったのです(著者の小俣氏は自らが精神科の医学博士で、「上野メンタル・クリニック」を開業し、多くの著作や翻訳もあるようです)。

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〈『精神病院の起源』著者・小俣和一郎、1998年、太田出版〉


『精神病院の起源』では、岩倉の大雲寺と同様“水治療”から精神病院へと発展する形態として、東京近郊の高尾山薬王院での「高尾保養院」や、岐阜・養老山地の鉄塔山天上寺での「山本救護所」、四国鳴門の阿波井神社における「阿波井島保養院」などを挙げていますが、その大半が密教系寺院だったことも注目です。

さらに“水治療”を手段とする療養地の特徴として、「その多くが密教系寺院であることはもちろん、修験道と結びついた修行的・拔魔的要素を色濃く反映していること、山地と平地のほぼ接点に位置していること」(小俣和一郎著『精神病院の起源』より)を指摘し、大雲寺のある岩倉が絶好の療養地だったことがうかがえます。

日本では古来より、病は“物の怪”に取り憑かれたとする迷信的病因説が支配していました。平安の世にあっても、精神病に限らず、病にかかると祈祷師が呼ばれ、憑依した“物の怪”を取り払うことで回復を願ったのです。
「滝行」に代表される「水行(水治療)」も、その“物の怪”を洗い流そうとする行為によって治療的意義を見いだしていたのですが、妄信的・迷信的とも思える“水治療”の効能について、小俣氏は精神科医の立場から次のように説明しています。
滝をはじめとする水治療法には、単なる「浄化」(清め)すなわち「祓い」の効能だけが期待されているばかりではなく、「衝撃」(自然のショック療法)作用や「冷却」などの生理学的・合理的効果も併存している。また滝や水行場に付随する自然環境(清涼な空気、静寂な環境など)も治療効果にあずかって、いっそうその効能を高める役割を果たしていたであろう。
小俣和一郎著『精神病院の起源』より

伝承や迷信だけではなく、これら合理的な治療効果を伴い、回復した人々が少なからずいたからこそ、近世に至るまで大雲寺のある岩倉に多くの人々が参集しのだということが、よくわかります。

平安の世から貴人の別荘地、隠棲地として選ばれてきた土地というだけでなく、日本における精神病治療発祥の地として、岩倉は今も緑豊かで、近くには岩倉川をはじめとする小川が流れ、保養地としても申し分ない環境が整っているのです。

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〈右が「石座(いわくら)神社」。左の道をまっすぐ行くと「岩倉陵」と老人保健施設〉

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〈かつての「大雲院」の本堂跡に建つ、老人保健施設「紫雲苑」〉

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 〈旧「大雲院」境内地に建つ「北山病院」〉



最後に、近代以降の岩倉の精神病院群の成り立ちについて触れておきます・・・。

江戸期には大雲寺の周囲に四軒以上の茶屋と呼ばれる、精神病者とその家族が寝泊まりし食事を提供する宿泊施設が存在していましたが、その頃には茶屋の管轄は大雲寺からすぐそばの実相院に移っていたようです。

そして明治初期には宿屋(茶屋)の収容能力を超えて人が集まることとなり、その事態を憂慮した当時の京都府知事・槇村正直は、岩倉から遠く離れた南禅寺の一角に「京都癲狂院」を設立します。これが日本初の公立精神病院だったのです。

この「京都癲狂院」の設立により、明治9(1876)年には岩倉の宿泊施設(茶屋)への“滞在禁止令”が発せられます。しかし設立からわずか7年後には「“府立”京都癲狂院」は財政難から「“私立”京都癲狂院」と民間に委託され、永観堂禅林寺の境内に移転。多くの患者は元の岩倉の宿屋(茶屋)へと戻ることになったのです。
さらに「私立京都癲狂院」は明治28(1895)年に共同経営者の一人であった医師・川越新四郎に移譲され、現在の「川越病院」(左京区浄土寺馬場町)へと引き継がれていくのでした。

さて、日本初の公立精神病院が頓挫した一方、岩倉の宿泊施設(茶屋)群は早々に“宿泊禁止令”も解かれ、多数の患者が逗留する活気ある場所へと戻ります。
そして明治17(1884)年には一軒の宿泊施設から「岩倉癲狂院」が誕生し、明治23(1890)年には89の病床を完備した病院施設として正式に開院しました。
明治25(1892)年の「岩倉精神病院」への改称を経て、明治33(1900)年には我が国初の精神医療に関する法律「精神病者監護法」によって再び“民宿禁止令”が出されるものの、当時の院長・土屋栄吉によって、まわりに併存していた七軒の宿泊施設(茶屋)と協力し、コロニー形式の治療圏が作られていくのです。

明治39(1906)年、ロシアの精神科医・ヴィルヘルム・スティーダが、「岩倉病院」(明治38(1905)年に「岩倉精神病院」から改称)を中心としたコロニー形式の治療圏を視察し、「日本のゲール(Geel)」としてドイツの学術誌に紹介しています。
ゲール(もしくは「へール」)とはベルギーの北部にある都市の名です。
600年頃に生きたアイルランドの王女ディンプナが、悪魔に取り憑かれた父王の元から逃れ、遠くベルギーの地へとやってきました。ところが、この地まで追ってきた父に殺され、さらにその遺骸が13世紀になってゲールに運ばれると、殉教者として聖人化され、1349年には町に「聖女ディンプナ教会」が建設。精神病をもつ人々がつぎづぎと巡礼に訪れるようになったのです。
当初は彼ら巡礼者の世話を教会が行っていましたが、その数はあまりに多く、教会の周囲に精神病者の宿泊施設が多数建設され、一般家庭も世話を担うようになり、町全体が世界的にもまれな精神病者の一大コロニーとなったのです。
1838年以降、病人の看護は市の管轄となり、1850年にはベルギー政府が国立精神病院を設立。現在も約500名の精神病者たちが、およそ440世帯に同居しています。
皇族が精神病に罹患し治癒した神聖な場所「岩倉」で、岩倉病院を中心にまわりの宿泊施設と協力してコロニーを形成していた状態が、ベルギーの「ゲール」に、なぞらえられるのは当然のことでした。

岩倉のコロニーは、土屋らの尽力もあり、宿屋(茶屋)の存続を特別に認められ、1935年には宿屋(茶屋)は「保養所」と公称されることとなり、終戦の昭和20(1945)年まで十ヶ所の「保養所」に320名以上の患者およびその家族が滞在していたのです。

しかし昭和20(1945)年、「岩倉病院(旧・岩倉精神病院)」は軍の接収によって閉院。

昭和27(1952)年には以前の岩倉病院とは別組織の「岩倉病院(現・いわくら病院)」が同地域に設立され、また昭和29(1954)年には保養所の一つから「北山病院」が誕生しました。
かつての保養所やコロニーであった頃の姿は見られなくなりましたが、病院や老人保健施設が多数存在する地域として現在に至っているのです。病院や関連施設の周辺には緑豊かな周囲を散歩する患者や老人の姿が今も当然のように見受けられます。

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〈いわくら病院(旧・岩倉病院)〉





コメント

  1. | |

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  2. t.okuno | URL | -

    Katyさん、コメントありがとうございます。
    そうそう、日の光が強いほど、影は深くなるものですよ。

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