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精神病治療発祥の地 岩倉 その3

2011年04月16日 00:57

「北山病院」を中心とする病院施設に囲まれた旧寺地の片隅に今も遺っているのが・・・大雲寺の“閼伽井(智弁水)”と“不動の滝”で・・・、これこそが精神病治療発祥の地たる“源”なのです。

201104091246092cf[1] 〈閼伽井(智弁水)〉

“閼伽井(あがい)”は、別名「智弁水」ともいって、先述の余慶(智弁)(918年―991年)が霊水を求めて密教の秘法を修めたと伝えられています。
また別の伝承として、大雲寺の僧であった文慶(965年―1046年)の夢に跋難陀龍王(密教で雨乞いの法会の際に拝まれる龍神)が現れ「此の地に名水有り、汝に与うべし」とのお告げがあり、文慶が左の袂をもって大地を撫でるとたちまち霊水が湧き出たという故事も残っています。
干ばつにも降雨にも増減しない「不増不減の水」とされ、特に“心の病”“眼の病”に効くと平安時代から信仰をあつめてきたのです。

2011040912461021c[1] 〈不動の滝(妙見の滝)〉

そして、閼伽井のすぐそばにある“不動の滝(妙見の滝)”は、古来、大雲寺で“心の病”がよくなるよう加持祈祷を受ける人たちの「垢離場(こりば)」(神や仏に祈願、参詣する際、自身の罪や穢れを洗い落とし、心身を清浄にする水行場所)で、“心の病”を持つ人を滝に打たせると回復するといわれてきました。

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〈わずかに二筋の滝が・・・。滝上に見える向かって左の祠には不動明王が、右の祠には妙見菩薩が祀られています〉


これらの伝承に加え、皇族と大雲寺との密接な関係が、湧き出る霊水をさらに神聖化させることとなるのです。

永観3(985)年には冷泉天皇の中宮・昌子内親王(950年―1000年)により大雲寺に観音院が建立されたと先述しましたが、注目すべきは第63代冷泉天皇(950年―1011年)の存在です。この天皇は幼少の頃から体が弱く、奇行が目立ちました。つまり精神を病んでいたことで有名だったのです。そのせいか、天皇在位期間もわずか二年足らずでした。
昌子内親王は、狂気の沙汰がみられる夫を恐れ、子もなく、大半を里邸で過ごしたといわれていますが、大雲寺に観音院を建てたり荘園を寄進したりと、たいそう仏教に厚く帰依した人物でした。
そして、多くの寄進した先が“心の病”の治癒で有名な岩倉の大雲寺だったというのも、夫である冷泉天皇の病を思えば、当然の行為だったと頷けます。

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〈右奥にあるのが、昌子内親王の墓である「岩倉陵」。左手の建物が旧「大雲院」境内地に建つ老人保養施設「紫雲苑」。かつての大雲寺境内のすぐそばに「岩倉陵」のあることがわかります〉

201104091243319d3[1] 〈岩倉陵〉

さらに、第71代後三条天皇(1034年―1073年)の皇女・佳子内親王(1057年―1130年)が宮中で「髪を乱し、衣を裂き、帳に隠れて、物言わず」という状態となり、大雲寺に参詣させ霊水を飲ませたところ、たちまちにして平癒したという言い伝えもあり、この出来事が噂となって広まり、大雲寺には各地から多数の精神病者とその家族が参集することとなったのです。

彼ら精神病者は食事と寝起きを提供する「籠り屋」で生活し、観音堂に詣で、閼伽井の水を飲み、不動の滝に打たれ“心の病”の治癒を祈ったのでした。

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〈『都名所図会』北岩倉大雲寺より 本堂の前に「こもりや(籠もり屋)」が、左には「智弁水(閼伽井)」「不動の滝」が描かれています〉

寺の周囲には、集まってきた人々を収容するための宿泊施設(茶屋)が古くから形成され(少なくとも江戸の文政年間(1818年―1829年)には四軒の茶屋の存在が確認されています)、そんな宿泊施設(茶屋)の一つから、明治17(1884)年に「岩倉癲狂院(後の岩倉病院)」が誕生するのです。





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