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茶人 堀宗凡 その2

2011年06月12日 01:41

堀宗凡には『茶花遊心』(1987年、マフィア・コーポレーション刊)という主著があります。

茶花遊心_0002
〈堀宗凡・著『茶花遊心』(1987年、マフィア・コーポレーション刊)〉

といっても、自費出版本だったのか、今では古本としてもさほど流通しておらず、さらに堀宗凡の著作もこの他には見あたりません・・・。

『茶花遊心』は400ページにおよぶ大著で、和歌と花の写真と随筆が三位一体となった風流な随筆風読み物とでも言いましょうか。ただし、装丁を見てエキセントリックな内容を期待してはいけません。あくまでスタンダードでオーソドックスな随筆です。そして堀宗凡という人物が、やはり数奇人だったということが理解できるものの、おもしろいかといえば・・・残念ながら、ですね。


しかし、この著作によると・・・、

実家は二、三軒の料理屋を営み、幾十人も人を使っていた母親の気苦労は相当だったようで、いつも母親は「煙草屋さんを一人でしたい」とつぶやいていたのだとか。そんな母親を見ていた宗凡もいつしか清貧にあこがれるようになり、幼い頃から花に魅せられていたこともあって「ききょう咲く陽あたりよき土地少しあるならば」と20歳にして“花守”の人生を本当に始めてしまうのです。

時には道を求める情熱ゆえ、仏門に入ろうとしていた時期もあったようですが、母親の反対にあい、断念したのだとか。

そんな生来の生真面目さから・・・、
「茶を清々と生きたい心は弟子取りに夢中になる先生とは肩を並べてはいられない」
「足がとまると風流は止りその人の血、宗が立つ、宗は意地の表現となり道の元祖の一派となる。宗旨といわれている」
「茶道修養も心の水源をたずねる事から始り、同時に花に通じるのであり、根に錬金術を得ることとなる。茶の湯も水からはなれられないし花も最も然りとなる。新鮮な初心の水に身を没入してこそ浮ぶ瀬がある」
(すべて『茶花遊心』より)・・・との心境に至るのも当然のことで、裏千家を離れ、独自の茶道を開拓する思いにいたった気持ちも理解できます。

堀宗凡_0007


庭で丹精込めてつくった花で床を飾って客をもてなし、自由に誰もが楽しめる茶道。それこそが、茶の道を確立した千利休の精神であり、堀宗凡が行き着いたカタチでもあったのです。


若者雑誌『BRUTUS』で、「昔は京都一のモダンボーイ、今は日本一のハイカラ爺さん」と謳われて、うれしがったりもするお茶目な堀宗凡さん。
未確認ながら、どうやらこの人、8ミリ映画にも出演されているようで・・・。
寺嶋真里さんという方の作品『幻花』では、そのものズバリ、女装老人を演じているのだとか。ぜひ、拝見したいものです。





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