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日本画家 甲斐庄楠音 その2

2011年03月28日 00:52

二枚あった出世作「横櫛」・・・。


甲斐庄楠音の出世作「横櫛」には、二つの絵が現存しています。

ひとつは、1916(大正5)年に制作された京都国立近代美術館所蔵のもの。
もうひとつは、1918(大正7)年に制作された広島県立美術館所蔵のものです。


1918年の「国画創作協会」第1回展に出品した「横櫛」で一躍注目を浴びた甲斐庄楠音。「国画創作協会」とは、土田麦僊や村上華岳ら京都市立絵画専門学校の第1回卒業生を中心に、当時の若手の登竜門であった「文展」に対抗して作られたグループ展でした。

燦然と輝く蜂葡萄酒の広告塔を眺めながら四条大橋を通っていた楠音は、普段から尊敬していたものの親しくはなかった先輩・村上華岳に突然声をかけられます。「校友会の横櫛は良いですね。感心しました。美人画の新しい境地を・・・一線を劃された」「吾々が今度ひらく国画創作協会へ、あれを出品してくれますか」と。
“あれ”とは楠音が絵画専門学校の卒業制作で校友会展に出品したとされる「横櫛」(1916年)のことでした。
これは卒業制作の締め切りが迫っていたにもかかわらず、何もしていなかった楠音が、前年に長兄の嫁・彦子と南座で見た歌舞伎「処女翫浮名横櫛」の印象を元に、彦子をモデルに思い描き、一週間で仕上げた作品だといわれています(ちなみに「横櫛」完成の半年前に、彦子は東京で病没していました)。

そして、この絵が現在、京都国立近代美術館に所蔵され、『ぼっけえ、きょうてえ』の装丁に用いられた「横櫛」なのです。

横櫛 1916年 京都国立近代美術館 〈「横櫛」 1916年 京都国立近代美術館〉



そして、おそらく国展(「国画創作協会」第1回展)出品のために改めて新しく描かれたであろう「横櫛」(1918年)は、岡本神草の「口紅」とならんで大変な評判となり、画葉書が飛ぶように売れ、どちらも“樗牛賞”候補に挙げられます。ところが、村上華岳が「横櫛」を、土田麦僊が「口紅」を強く推し、どちらも譲りません。そこで竹内栖鳳の仲裁により、金田和郎の「水蜜桃」が漁夫の利で受賞するという因縁が起こります。ただ、その混乱さえも「横櫛」の評判をさらに高める一因でしかなかったようです。

岡本神草「口紅」京都市立芸術大学所蔵 〈岡本神草「口紅」 京都市立芸術大学所蔵〉


下記が国展に出品したときの「横櫛」です。広島県立美術館に現存する「横櫛」と構図は全く同じですが、女性の表情とともに、右上にあったはずの「切られのお富」の絵が短冊に書き換えられていることがわかります。

横櫛 1918年 〈「横櫛」 1918年〉



「横櫛」はその後、国展の後援者であった吉田忠三郎の元へ引き取られます。吉田は村上華岳や土田麦僊の作品のほとんどを所蔵する好事家でもありました。
さらに数年後、楠音に三条河原町の大文字屋の主人・奥村政太郎から「一度お目にかかりたい」と連絡があり、話を聞くと、吉田が亡くなり売りに出されていた「横櫛」を買ったというのです。そして、画面の後ろに描かれている「切られお富」の絵を消してほしいという依頼でした。
楠音もまた、「切られお富」の絵は不必要だと思い、表具屋に消してもらおうと、松浦松栄堂へと渡します。そして、絵のことを思いやっているうちに依頼したはずの奥村もなくなり、楠音も映画の世界へ転身し、ずっと楠音の自宅の二階に放っておかれていました。

その後、1963(昭和38)年に国展の回顧展を行うことになり、府の美術館関係者から「横櫛」出品の依頼を受けます。その頃に「横櫛」を確認するとネズミの小便のようなシミがついていたという散々な始末で・・・。
楠音は「横櫛」の出品にあまり乗り気ではなかったようですが、一緒に出展されるであろう、鬼門に入っていた岡本神草の「口紅」と比較されることを思い、修理に取りかかります。その際に、「切られお富」の部分を短冊に描き換え、顔の全部を洗い直しましたが・・・描き直しても、当時の“アノ微笑”は戻ってこず、「青い鳥は逃げた」と楠音は悲嘆に暮れたのです。

この描き直された「横櫛」はさらにその後、広島県尾道市に住んでいた旧知の洋画家・小林和作にもらわれ、現在の広島県立美術館所蔵となりました。

横櫛 1918年 広島県立美術館 〈「横櫛」 1918年 広島県立美術館所蔵〉



実は長年、「横櫛」は修繕された広島県立美術館所蔵の一点だけと思われていました。ところが、1994(平成6)年に新たにもう一点の「横櫛」が発見されます。それが先に紹介した1916年に描かれ、『ぼっけえ、きょうてえ』の装丁に用いられた京都国立近代美術館所蔵の作品なのです。

つまり、作者・甲斐庄楠音さえも「青い鳥は逃げた」と惜しみ、国展に出品され、華麗なる画壇デビューを果たした往事の作品を彷彿とさせる“アノ微笑”をたたえた「横櫛」を、今は目にすることができるということなのです。
そして、魔性の微笑みをたたえたその絵がホラー小説の単行本の表紙を飾り、多くの人の関心を引いたことは、楠音の波乱に満ちた人生とともに注目に値する出来事だと思うのです。

ちなみに・・・、栗田勇氏が著した『女人讃歌―甲斐庄楠音の生涯―』(1987年、新潮社刊)は、甲斐庄楠音の人生がうまくまとめられた伝記です。しかし新たな「横櫛」発見前に出版されていることから、「横櫛」は一枚だけの前提で描かれてしまっていますので、読まれるときにはご注意を。






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