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ナマの京都 その2

2010年09月19日 23:44

『ナマの京都』には、懐かしいキャラも登場します。

現在の京都のキャラクターと言えば「たわわちゃん」でしょうか。
東京タワーの「ノッポン」に対抗してか、京都タワー40周年を記念してつくられたこのキャラは結構人気者のようですが、
20年前には京都中を席巻したあの人がいたのです・・・。

1988年に開催された第43回京都国体のマスコット・・・「未来くん」ですっ!

ナマの京都_20100920000947

どうしてこれほど国体の開催が盛り上がったのかはわりませんが、その盛り上がりと比例し、開催の数年前から、京都府全域への「未来くん」の増殖も凄かったものです。
もちろんそのモチーフは「牛若丸」。国体のマスコットとしては全国初でした。
そう、この頃はゆるキャラ((C)みうらじゅん)という言葉もなかったんですねえ・・・。

グレゴリ青山さんは、「不気味なマスコット」と言ってますが、もう一度、京都の(市でも府でもいいんですが)公認キャラとして復活させてみてはどうでしょう。
案外、ゆるキャラブームの今日、“キング・オブ・ゆるキャラ”になれるかも・・・なれないか。



そして出ました、河原町のジュリー!!

この人を知っているか知らないかで、その人の年代がわかってしまうのが悲しいですね。

ナマの京都_20100919224155
〈「未来くん」と「河原町のジュリー」。ふたりは京都随一の心霊スポット深泥池で再会し、再び京都人の記憶の底に沈んでいくのでした〉


「河原町のジュリー」という名前の由来はもちろん、京都出身のスター・沢田研二(鴨沂高校を中退し、ザ・タイガースの正式メンバーに)から。
出自は“ええところ”のボンボンで、身なりをただせば男前なのだと人々は噂し、そして浮浪者としては断然若かったということもあり、そう名付けられたのです。当時、京都ではかなりの有名人でした。

あの頃はまだ、彼らにホームレスなんてスマートな肩書きはありません。浮浪者、いや「乞食」なんて節操のない名前で呼んでいました。
そして、今のように鴨川の橋の下にブルーシートでつくられた小屋もなく、町なかでもホント“お乞食さん”を見かけることも稀だった時代。
一方、今では、阪急河原町店の閉店に代表されるように、一時の喧噪も華やかさもなくなりつつある河原町周辺ですけれど、
「河原町のジュリー」が出没していた30年前の休日の河原町は、京都人にとって疑う事なきハレの場所でした。
そんな賑やかなハレの場所に出現する、異端の人である「河原町のジュリー」の存在は、子どもでなくともなぜか興奮する出来事だったのです。

ナマの京都_20100919224309


ちょうど「河原町のジュリー」が京都にいた頃、横浜では「ハマのメリーさん」という老女の浮浪者がいました。白塗りで、年齢に不釣り合いなフリルのついたドレスを着た老婆です。
進駐軍相手の娼婦のなれの果てとも噂されていたそうですが、1995年冬に忽然と姿を消しました。
『ヨコハマメリー』(監督・中村高寛、2006年)という映画では、実在のメリーさんの写真と、メリーさんを見守ってきた町の人々の証言で、メリーさんとはいったい何者だったのかを追求するドキュメンタリーとなっています。

「河原町のジュリー」も「ハマのメリーさん」も、単なる町のあだ花ではなく、ましてや都市伝説の一部でもなく、実際に実在した人物でした。
同じ時代に違った場所で、異端の人物が町の人々から注目を浴びていたことは、深い意味があるのかもしれません・・・いや、たぶんあるのでしょう。

ちなみに、河原町のジュリーは80年頃でしょうか、役所の人に風呂に入れさせられ(たびたび、入浴はさせられていたみたいです)、それがもとで風邪を引いて死んでしまったというのが通説です。
地元紙では、亡くなったことが記事にさえなったという有名人なのでした。





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