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玉割り人ゆき

2011年07月27日 00:09

玉割り人ゆき 監督・牧口雄二 1975年

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京都の遊郭・島原を舞台とした映画には、赤線防止法が施行される直前を描いた名作『廓育ち』(監督・佐藤純彌、主演・三田佳子、1964年)があります。
しかし、もう一本忘れてはならない作品が・・・1975年に公開された『玉割り人ゆき』なのです。

原作は作・三木孝祐、画・松森正の劇画マンガ(とのことですが、読んだことはありません)。監督は、本作がデビューとなった牧口雄二です。


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〈島原のある土地の正式な地名は、「西新屋敷」〉


どちらの映画も廓に生きる女性を描いていますが、作品から匂い立つ悲哀は、脚本家や監督の手腕とともに、島原という土地に長年染みついた魔性の魅力から来るものだと、実感させられますネ。
花街とはいうものの、画面からは華々しさよりも、陰湿なオーラ(まあ、時代に不条理にも背負わされた女性たちの情念です)が漂いまくりです。


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〈嵐電(京福電鉄)の高雄口駅〉


さて、題名の「玉割り人」とは、廓に売られてきた生娘に、あれやこれやの夜の妙技を教える“性の女伝道師”のこと・・・とでも言いましょうか(苦笑)。
『廓育ち』『玉割り人ゆき』の両作とも成人映画に指定されているものの、「玉割り人」を主人公とした分、よりハードで過激な映像満載です。
そして『廓育ち』以上に、遊郭の“えげつない”慣習(娼妓の値段をつける部分など)も包み隠さず映し出し、くら~い気分になれること受けあいです。
ゆきが寝技を教授するシーンや、足抜けを謀ろうとした女郎への拷問は、なかなかの迫力ですヨ。


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〈雨の中、昭和初期の島原の町角。官憲に追われていた無政府主義者の森(大下哲矢)と、ゆき(潤ますみ)とが出会う場面〉


日活ロマンポルノで活躍していた、潤ますみを主演に据え、今で言う“ツンデレ”の演技を披露させています。
女郎に性の技と値段をつけ、さらには足抜けに失敗した女郎の折檻をも一手に任されている、ゆき。情にほだされない彼女が、無政府主義者の森と知り合うことで、自らの女の部分に目覚めていく・・・という作品です。


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妓楼扇屋の女郎・小園(八木孝子)が足抜きに失敗し、小園をそそのかしたとして、客であった大工の六造(川谷拓三)が捕まり、拷問を受けます。小園は足の指の爪を剥がされ、そして六造は・・・あとは本編をご覧ください(苦笑)。その拷問の恨みから六造は、ゆきにつきまとい・・・。


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無政府主義者たちのアジト。祭壇にはアナキスト・大杉栄の遺影が飾られ、まわりの壁は、青・白・赤で彩られ、もちろんその色の意味するところは、自由・平等・博愛ですが、何も部屋全体を三色にしなくても(笑)。


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〈今はなき島原の裏門(西門)〉

裏門(西門)は平成10(1998)年の交通事故により倒壊し、それ以降は再建されていません。


WS000506_R[1] 〈山陰本線保津峡駅の吊り橋〉

現在は嵯峨野トロッコ列車が走っています。かつての山陰本線の一部(嵯峨から亀岡までの7.3km)の緑深い風景が楽しめます。


主演の潤ますみ、は・・・。
東映から1971年に「潤まり子」としてデビューし、翌年には日活に移籍。日活ロマンポルノの主演に抜擢されてから、人気者に。さらに芸名を「潤ますみ」に改名し、本作『玉割り人ゆき』以降は各社の映画やテレビにも出演。と同時に「潤まり」として歌手活動も行っていた、のだとか。もうすでに引退なさっています。


京都・島原から金沢に舞台を移した続編『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』(1976年)もありますので、お好きな方はどうぞ。





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