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宗方姉妹

2011年02月26日 02:56

宗方姉妹 監督・小津安二郎 1950年

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こういう作品こそを“名作”というのでしょう・・・。

原作は朝日新聞に連載された大佛次郎の長編小説『宗方姉妹』(1950年)。脚本は野田高梧と小津安二郎。

この作品において、初めて小津安二郎は原作のある作品を手掛けることに。
しかも監督の小津と主演の田中絹代にとっては、初めて松竹を離れ、新東宝の仕事をすることとなったのです。

また、主演の田中絹代と高峰秀子は、五所平之助監督『新道』(1936年、松竹)以来、14年ぶりの共演で、その当時、高峰秀子は12歳でした。

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姉夫婦と妹の住む東京、父の住む京都、そして姉がかつて慕った田代の住む神戸。この三都市を舞台に、古い女性の代表として慎ましく謙虚に生きる姉と、新しい女性の代表として明け透けで陽気な妹の生き様を対照的に描いています。

まあ、戦後すぐの映画や小説の題材にはありがちだった女性の構図なのですが・・・この作品は、ひと味もふた味も違います。

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そしてとにかく、高峰秀子の演技が凄すぎで、必見。
この人の顔は好き嫌いの好みが分かれるでしょうが、演技は天才的です。



姉妹の父・宗方忠親(笠智衆)は、一人で京都の寺の庫裏に住んで隠居生活を送っています。
彼の気がかりは、東京で一緒に住む子どものこと。なかでも姉・節子(田中絹代)の夫・三村亮助(山村聡)は失業してしまっていたのです。

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〈宗方の親友である京大医学部教授の内田(斎藤達雄)が宗方の娘・節子(田中絹代)に、癌を患う宗方の余命が長くて1年、短くて半年だと宣告します〉

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〈京都大学時計台。1925年に竣工した大学のシンボル〉

失業のため、日々、苛立ちを見せる三村でしたが、どうやら妻・節子の日記を見て、昔、節子が思いを馳せていた田代宏(上原謙)に嫉妬しているようだと、妹・満里子に節子は知らされます。

かつて、節子と田代はお互いの気持ちを確かめることなく、節子には三村との結婚話が進み、田代はフランスへと旅だったのでした。帰国後、田代は神戸で輸入家具店を営み、今だ独身なのです。

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田代はたまに宗方の京都の家を訪れていて、そこに東京から来ていた満里子と出会います。満里子は田代の心の中に今も姉・節子がいることを感じ、また自身も田代に惹かれ・・・。

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〈田代とパリ時代からの友人は眞下子。眞下は夫を亡くしていて、田代を慕う満里子からすれば恋敵となるのです。眞下役の高杉早苗は、スーパー歌舞伎の創始者・三代目市川猿之助の母堂でもあります〉

暴力を振るうようになった夫・三村と別れ、田代と一緒になることを決意した節子でしたが、三村が酒の飲み過ぎで急死し、そんな夫の最期が節子の心に深い影を落とします。そして最後の最後で、田代と一緒になることを自ら諦めるのです。
田代と姉がよりを戻すことを応援していた妹の満里子も、姉の決断を責めることなく、素直に認めるのでした。

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映画の最後は、京都御苑(京都御所)を姉妹で歩く場面。

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〈「ねえ満里ちゃん、京都の山ってどうしてこう、紫に見えるのかしら」「ああ、ほんと、おしるこの色みたい」〉



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公開当時の役者のおおよその年齢は、父親を演じる笠智衆が46歳。姉役の田中絹代が41歳。妹役の高峰秀子が26歳。笠智衆と田中絹代の年齢差はわずか5歳(笑)。なのに違和感をまったく感じさせません。それもそのはず、1936年公開の小津安二郎監督『一人息子』で32歳にして老け役を演じて以来、笠智衆は老け役が当たり役となっていたのですから。


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黒澤映画の常連でもある千石規子も飲み屋の給仕役で出演。若っ!






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