--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一輪の梅

2011年05月20日 01:31

一輪の梅 著者・西口克己 1977年

201102162359116b8[1]


1977(昭和52)年に出版された西口克己の『一輪の梅』(東邦出版社)です。1987年出版の全集『西口克己小説集』(全14巻、新日本出版社)には第11巻に収録されています。


全集の帯文には・・・、
健気にも美しく生きた織子の生涯!
次々と襲いかかる不幸にもめげず、ひたすら他人の幸せを願って生きていく少女ムメ。戦前戦後の激動と苦難を通して、社会に目をひらき、やさしくたくましく成長していく西陣織子の生涯を、情感こまやかに描く。
とありますが・・・日本共産党の宣伝小説でしたね。


作者の初期の作品『廓』では、小説家としての力量に脱帽したものですが・・・。
この『一輪の梅』を読んでも、確かに物語の構成力や、読ませる技量は感じます。ただ、いかんせん、至る所に共産党色が色濃く見え隠れしているのが・・・ザンネン。まあ、共産党の地方議員だった作者にとって、小説の題材すべてが共産党の宣伝へと収斂するのは仕方ないことだったのでしょうが・・・。


主人公は、明治44(1911)年、京都西陣の織屋に生まれた小糸ムメ。
題名は北野天満宮の梅のことで、そのまま西陣が舞台だと思いきや・・・数え五つの時に父親が蒸発。そこから彼女の怒濤の貧乏生活がつづくのです。

母親や幼い弟とともに伯父の住む丹後の網野に移り住むも、弟は養子に出され、母親は峰山へ出稼ぎに。
ムメは小学校に通うこともなく、数え七つの時に宮津の料理屋へ子守奉公に出され、疾走していた父親が見つかったかと思えば、すでに新しい家庭を築いていて・・・。

その後、母親と丹後ちりめんの工場で働いていた時、母親が再婚。ムメは母親の新婚家庭に気を遣い、ひとり大阪の岸和田にある紡績工場に働きに出て『女工哀史』のような環境に身を置きます。
さらに船乗りだった義父はリウマチで歩行も困難となり、療養のため家族揃って室蘭に移住。そこで風呂屋の下女として住み込みで働いていた時に乱暴にあい・・・。

二十一歳からは西陣で織子として働き、ムメも三十三歳となって、すっかり行かず後家に・・・。折しも太平洋戦争に突入し、奢侈品製造販売の制限が決まり、西陣織もその対象となり・・・、そんな先行き不安なムメに縁談話が舞い込むのです。
相手は四十歳過ぎで、しかも十五年間も獄中生活を送っていた古谷堅一という共産党からの転向者。最後の機会と、ムメは結婚を決心し、舞鶴に移り住みます。

戦後、夫の堅一は共産党へと戻り、運動に奔走。その間、ムメは女ながらに“ヨイトマケ”の仕事に精を出し、家計を支えます。
子どもも出来たムメたち一家は、西陣に移り住み、共産党の幹部となった夫は相変わらず運動で家を空けがち。ムメは織子の仕事をしながら、夫の仕事でもある『赤旗』の配達を手伝います。
最後は参議院議員選挙に立候補した夫・堅一が数万票の差で落選し、小学校にも行かず文盲で無学だったムメが夫に党の綱領や規則を教わりながら、共産党に入党し・・・大団円。


まあ、ムメの生きた時代は米騒動(1918年)にはじまり、北丹後大地震・金融恐慌(1927年)、そして太平洋戦争に、朝鮮戦争の勃発と、あまりに激動の時代で、国民総じて貧乏で不憫な生活を強いられていたわけですが・・・。そこに作者のドS的ともいえる(笑)、追い打ちをかけるような試練の連続。そして学問がないながらも懸命に貧乏から逃れようと、“世直し”を夢見て働く彼女が行き着いた先は、共産党への入党・・・って(泣)。


戦前のプロレタリア文学は別として・・・政治や宗教を前面に出しすぎる小説っていうのは・・・あまりに内輪向きで、一般読者、いや、共産党の言う“大衆”に対してサービスがなさすぎっ。本書も同様で、機関誌にでも書いて内々で読めばいいジャン、って程度の物語に堕ちちゃってました。文学的にも、思想的にもねっ。





コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://2ndkyotoism.blog101.fc2.com/tb.php/183-e9511341
    この記事へのトラックバック


    Twitterボタン

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。