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無名の南画家 その2

2010年09月18日 23:27

『無名の南画家』は、雑誌『南画鑑賞』に1941(昭和16)年6月から翌2月までの5回にわたって掲載され、
1947(昭和22)年2月に日本美術出版社から単行本として出版されました。
その後、長らく絶版であったものが、1970(昭和45)年に三彩社から復刻されています。
とはいえ、朱い箱入りの三彩社版さえ、もちろん今では古本でしか手に入りません。


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〈主人公がたびたび山内を通り抜ける黒谷金戒光明寺。幕末には京都守護職が置かれ、城郭の佇まいも残る。堅牢な門〉


加藤一雄は1905(明治38)年、大阪市天王寺区生まれ。第四高等学校を経て、京都大学文学部哲学科を卒業します。
京都市立絵画専門学校(のちの京都市立芸術大学)教授をつとめたのち、関西学院大学教授など関西の私立大学で美術史を教えていました。
1980(昭和55)年、心不全のため右京区嵯峨の自宅で亡くなるまで、ずっと京都で過ごしたようです。
他の主な著作は、小説『蘆刈』(1976年、人文書院)、そして没後の1984年に刊行された『京都画壇周辺 加藤一雄著作集』(用美社)です。


芸術に魅せられ、振り回され、堕ちてゆく・・・、プライドは高いが憎めない靄山先生。その先生に気に入られた“ぼおっとした”子どもの「私」が京都の風物を絡めて美しく描き出し、
さらにおちゃっぴいで不良少女の「おさん」が先生との対比で、あたかも無垢な観世音菩薩のようにも思えます。
戦時中にこのような文章が書かれたというのがなんとも驚きです。
そして文章の巧さというのは、その人の息づかいや佇まいと同じようなもので、持って生まれた資質なんだなあ、とつくづく思ってしまう、そんな小説です。しかも読み返すほどその思いが強くなるのですから不思議ですね。
これほどの作品なら発表当初から話題にもなり、加藤一雄のもとへ小説の依頼も来たでしょうに、美術雑誌「三彩」に『蘆刈』(1972年4月号―1975年2月号まで28回掲載)を書くまで小説は発表しませんでした。

著者は三彩社版『無名の南画家』のあとがきで、
「実際なぜこんなものを書いたのか、書いた本人の私にさえも明瞭には合点がゆかない。ただ時期が日華事変真最中の暗鬱な時代であったから、われわれ小型のインテリたちは気が鬱していた。気鬱し、志屈した時は、ひょっとして、人はこんなものを書くものだという一つの例証にはなるかも知らない。私はこの事実は微かながら当時意識していた記憶がある。」
「主人公に南画家を持ってきたのは、取りも直さず、掲載誌に対するお愛想からである。もし相手が書道雑誌であったなら、私は恬然として『無名の書家』を書いたであろう。」
と、深い意味もなく書いたように謙遜していますが、本当のところはどうなのでしょうか?
同じく、あとがきで、
「このヘンな拙稿を書いて以来、私の周囲の世間(と言っても狭いものだが)、ともかくその世間は私をもって秋毫も学者として扱わなくなってしまった。広い世間から言えば取るに足らぬことながら、私としては少なからず家業に差支えが出てくるのである。しかしまあこれは自業自得で仕方がないものとして、唯一つ困ったことには、肝心の私自身が、何んらかの対象を前にして、これを学問的に取扱えなくなったことである。昔先生から教わったようにwissenschaftlichにやらねばならぬ、とは重々解っているのだが、いつの間にかその対象を随筆みたいに(もっと悪い時には)小説みたいに取扱っている」
と語っています。(wissenschaftlichはドイツ語で、学問的に、科学的に、という意味でしょうか・・・)

本業に差し支えが出たのか、たしかに小説は多く書きませんでしたが、800頁に及ぶ大著『京都画壇周辺 加藤一雄著作集』には、多くのエッセイがまとめられ、小説にも比する珠玉の文章(珠玉なんて言葉、恥ずかしくてあまり使いたくありませんが)を読むことができます。
専門の美術史に限らず、いやむしろ美術史に関心がなくとも、当時の京都の様子や風物が興味深く美しく描かれていて、加藤一雄の博識と洞察の視点は読んでいて心地よいです。


201009171103346a6[1] 〈『京都画壇周辺 加藤一雄著作集』(用美社)〉


『京都画壇周辺 加藤一雄著作集』の巻頭では富士正晴が「恍惚」という文章を書いています。これによると――

富士正晴が加藤一雄と知り合ったのは昭和16年頃。当時、富士正晴は弘文堂書房の編集者でした。
この頃、弘文堂書房では手頃の日本美術の写真集をつくることになって京大の美学の専門家のもとへしきりに通っていたといいます。
真如堂のそばにあった加藤家を一度訪ね、“はなはだ静かな好感を抱いて”満足して帰ります。訪問はこの一回きりでした。
ちょうど、『無名の南画家』が書かれ、発表される頃にあたります。しかし、その小説についての話が出ることはなかったそうです。
富士正晴が『無名の南画家』を初めて読んだのはもっと後になってから。
京都の古本屋で何気なく『南画鑑賞』をパラパラとやっているうちに読み、「こんなうまい小説はない」と、その全部を切り取って綴じて表紙をつけて何回も読んだ、とのこと。
その後、加藤一雄と富士正晴が再会したのは35年後に出版された小説『蘆刈』の出版記念会でした。
富士正晴は加藤一雄の印象を(もちろんその大半は生身の加藤一雄ではなく、文章を通じてでもあるのでしょうが)、
「なつかしい、冴えた、しかも温い(小説の中の人物の皮肉めいた扱いの裏にそれは濃厚にある)聡明きわまる、知識の自然な幅と深みのある人物であったことを今更感じないではおられない」と語っています。


201009182051471be[1]
〈加藤一雄の住まいがあった真如堂門前〉


小説の舞台は左京区の吉田神楽岡、黒谷あたり。
大文字山の正面にあたるこの丘陵地帯は、周辺に真如堂、黒谷金戒光明寺、吉田神社、後一条帝や陽成帝の陵、そのほか小さな寺院が点在し、住宅も密集して趣のある地区となっています。
真如堂の門前に住んでいた著者がこの地を舞台にしたのは至極当然のことで、
戦争も末期、隣組防火班の監視哨をしていた加藤一雄は、空襲警報が鳴ると高台にある黒谷金戒光明寺の墓場へのぼって監視していました。そこからは亡びゆく大阪の火焔が「遠眼鏡でみる他人事みたいに、薄情な程はっきりと」見ることができたといいます。
そんな空襲のさなかに、竹内栖鳳の墓や海保青陵の墓を見付けたりするというようなことも『京都画壇周辺』には詳しく載っています。


20100918205146028[1] 〈神楽岡から眺める大文字〉


デビット・ゾペティの小説『いちげんさん』で目の不自由な女性・京子の家もこの神楽岡辺りの設定だったような・・・。
(映画『いちげんさん』(2000年)は、曰く付きの映画祭「京都映画祭」で京都市から1億円の助成が出され、第2回京都国際映画祭のオープニングで大々的に上映されたましたが、興行的にダダ滑りだったことは内緒です(笑)。その後、この映画祭自体も華麗にフェードアウトしたのでした・・・が、なんだか今年、10月6日から第7回京都国際映画祭をするみたいです。いったい盛り上がるのでしょうか)





コメント

  1. とんぼ | URL | uaIRrcRw

    三彩社版の『無名の南画家』を昨日読みました。
    いいですねえ~。靄山先生のお葬式には”セザンヌも、一人の学者も芸術家”も参列しなかったというところは泣かせます。
    下絵の”京の四季”、雨宿りの群衆の中に紙くず屋の靄山先生が入っていたり、因幡堂の奉納提灯に湯豆腐屋の名があったり...御辰稲荷の在りし日の情景の叙述もサラッとしているけれどもとても素晴らしい。

    いま、『蘆刈』を読んでますが、『無名の南画家』のユーモアがもっと濃くなっていて、笑いながらページを繰っています。加藤一雄氏はこれら二作しか知りませんが、職業小説家の存在とは一体なんなのかと考えさせられますね。ものすごくいいです。

    加藤一雄氏、それに別の記事にあった、田宮虎彦氏。これらの作家をt.okunoのさんのこのブログで教えていただきました。本当にありがとうございます。

  2. t.okuno | URL | -

    学者らしからぬ文体が、なんともいいですね。
    これはもう、持って生まれた才能というほかにないです。

    惜しむらくは、小説はこの二作だけという点ですが、
    大著『京都画壇周辺』に代表される評論随筆の類も、なんとも味わいのある文章なのが、すばらしい。

  3. とんぼ | URL | uaIRrcRw

    『京都画壇周辺』が本日、古書肆より届きました。予想に違わず分厚いですね。

    中は、『無名の南画家』のように活字と紙が汚いという訳ではないので目に優しい感じですが、
    どうでしょうね、重くて無粋な字引のような本なので、いっそ富士正晴氏のように、
    自分でこの本を分解して、いくつかに小分けして厚紙の表紙をつけて接着剤で
    綴じてしまいましょうか。その場合、そとの表裏表紙は木版千代紙、惜しくない幕末・明治初頭の
    再販錦絵、あるいは唐紙なんかを貼ると綺麗になるでしょうか。
    何年も延期に継ぐ延期の”加藤一雄の小説”というのも、よしんば刊行されても、
    このような取り扱いがはなはだ面倒な体裁の本なんでしょうね(^ ^;

    バラしてスキャナで読み取ってiPadで読む、いわゆる”自炊”するのは味気なさ過ぎるし、
    そういう「製本」を体裁よくやってくれる業者があるといいなあ..青空文庫の著作権切れの
    作品を、段組み字体もお客の要望通りにして一冊の本にしてくれるサービスとかね。

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