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島原(嶋原) その2

2011年02月14日 00:41

2011020519071250d[1] 〈島原大門〉

いわずとしれた、わが国最古の公許遊廊・島原の正門です。花屋町通にそびえ、一間幅、本瓦葺、切妻の高麗門。

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門前には通称「出口の柳」「さらば垣」、道筋には「思案橋」と名づけられた橋もあったようです。



20110205190713490[1] 〈輪違屋(わちがいや)〉

「輪違屋」は島原で唯一、現在も営業している置屋兼お茶屋。創業は元禄元(1688)年。

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創業当時は「養花楼」という名の置屋からはじまり、お茶屋兼業となったのが明治5(1872)年。現在の建物は安政4(1857)年に再建されたものです。



20110205190847f91[1] 〈左が島原歌舞練場跡〉

「島原歌舞練場」は明治6(1873)年、上之町に島原女紅場(にょこうば)として開設されました。当時は芸妓や娼妓に刺繍・裁縫などを教え、花街を離れても生活していける術を教えてもいたのです。昭和2(1927)年に中之町に移転し、本格的な劇場施設として新築されます。
昭和22(1947)年以後は島原貸席お茶屋業組合の事務所としても使用され、平成8(1996)年の組合解散に伴い、歌舞練場も解体されました。



20110205190848192[1] 〈左が角屋〉

揚屋としての営業は行っていないものの、「角屋」は今も日本に唯一残る揚屋造の遺構です。二条柳馬場時代の天正17年創業で、この花街の移転とともに「角屋」も移り、現在の地に落ち着きました。今は「角屋もてなしの文化美術館」として運営されています。

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江戸時代中期には与謝蕪村が招かれ、蕪村の「紅白梅図屏風」は重要文化財として美術館に展示されており、その他、円山応挙、石田幽汀などの襖絵も残っています。
幕末には西郷隆盛、久坂玄瑞などの勤王の志士が密議を交わし、壬生に近かったことから新選組もここでの遊興を楽しんでいたとか。初代局長の芹沢鴨が殺害される直前、角屋で酒宴を開いていたことは有名です。





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