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旧 橋本遊郭 その1

2011年03月04日 00:40

旧 橋本遊郭

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京都府の南部、石清水八幡宮のある男山の西側は、八幡市「橋本」と呼ばれる地域です。

この橋本を『拾遺都名所図会』(天明7(1789)年刊行)では次のように紹介しています。
橋本〔八幡山の西南にあり、大坂街道の駅にして人家の地十一町あり、茶店旅ごや多し。いにしへは山崎より架す大橋あつて、其東の橋爪なるを以て橋本といふ。今中之町と号する所橋の渡口なり。山崎橋、延喜式及び文徳実録に出たり。今舟渡となる、これを橋本の渡口といふ〕

もともとは、淀川に架かる山崎橋(行基が架橋したとも)の袂という由来から「橋本」と呼ばれ、橋が失われてから1962(昭和37)年まで長い間にわたって渡し船が通っていました。

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〈川向こうに見えるのがサントリーの山崎蒸溜所です。〉

淀と枚方を結ぶ交通の要所で、宿場としても栄え、歌舞伎『双蝶々曲輪日記』の六段目「橋本の段」に登場する、茶屋が発展した色町としても有名でした。

また幕末、戊辰戦争の“鳥羽伏見の戦い”では、会津藩・小浜藩をはじめとする幕府軍が陣を築き、大砲を設置した場所でもあったのです。京阪橋本駅前にある西遊寺には今も橋本砲台弾薬庫が遺り、近くの久修園院にあった幕府軍橋本陣屋跡も移設されています。

1958(昭和33)年の売春防止法が施行されるまで、京阪橋本駅を出発する終電車は連日、多くの男たちで混み合っていたとの話も・・・。


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〈京阪橋本駅の東改札口〉

現在の閑散とした駅前から当時の賑わいは想像出来ないものの、駅の西側一帯には往時を偲ばせる古く情緒ある家並みが今も数多く残っているのです。


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さて、いきなり駅前にあらわれた、この巨大な廃屋風の建物が、かつての橋本遊廓歌舞練場です。

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駅前から怪しさ全開ですね。


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昼間の駅は閑散としていますが、駅の東側から男山にかけての丘陵地帯は住宅街が拓け、近年は京都、大阪への通勤者が多いとのこと。


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踏切を越えると、すぐに建つ遊郭建築。軒先には吊された傘外灯と年季の入った欄干の手すり。


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営業している理髪店の向こうが京阪の踏切で、さらに奥に建つのが先ほどの旧歌舞練場です。この細い道を線路とは反対の方角に進むと、かつての遊郭のメインストリートにたどり着きます。






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