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廓 その3

2011年02月09日 00:13

三部構成の『廓』が発表されたのは、折しも売春防止法が制定、施行された時期とちょうど重なります。

1956(昭和31)年1月に第一部が三一新書(三一書房)として出版され、 第35回直木賞候補(1956年上半期)にノミネートされます。
その後、1956(昭和31)年11月に第二部が、1958(昭和33)年1月に第三部が、同じく三一新書から出版。さらに1958年8月には、第一部から第三部までが新潮文庫にもなりました。

現在、手元にあるのは『西口克己小説集』(全14巻)として新日本出版社より1987(昭和62)年に出された全集の『第2巻 廓 上』と『第3巻 廓 下』です。三部構成の『廓』は全集では2冊に分けて収録してあります。


DSC01958[1]


作者の西口克己は1913(大正2)年に京都伏見に生まれます。実家は中書島の遊郭でした。
京都一中から第三高等学校を経て、東京帝国大学文学部西洋哲学科を卒業。

1946(昭和21)年に日本共産党に入党するも50年分裂の際、除名されます。
戦後の混乱で職を失った彼は、実家である中書島の遊郭にもどり小説を書き、『廓』(1956年、三一書房)がベストセラーとなるのです。その後も『山宣』(1959年、中央公論社)、『祇園祭』(1961年、中央公論社)、『Q都物語』(1978年、自治体研究社)、『小説蜷川虎三』(1984年、新日本出版社)など、主に京都を題材とした作品を次々と発表します。

また、西口克己は小説家としての肩書きとは別に、日本共産党の地方政治家としての顔も持っていました。
小説を発表するのと同じ頃の1955(昭和30)年には日本共産党に復帰。1959(昭和34)年には京都市議会議員に当選し四期つとめます。さらに1975(昭和50)年からは京都府議会議員へ転身し三期目の途中である1986(昭和61)年に亡くなりました。


DSC02117[1]


西口克己の経歴からもわかるように、この小説はおそらく作者本人とその父親の物語と読み取っていいでしょう。つまり限りなく私小説に近い作品なのです。


“遊郭に生きる女の虐げられた生活を共産党員が書いた小説”。

その先入観で読み進めたのですが、物語の最終盤以外は、政治色や思想色はそれほど濃くはありません。むしろ、第一部を占める鰐口貫太の立身出世物語は、ヤクザとの立ち回りあり、色街から袖下をもらう警察との丁々発止の遣り取りありで、なかなかのエンターテインメント小説となっているのです。いや、文章の巧さからみても名作と言っても過言ではありません。
なお、第一部に相当する部分は1957年に三橋達也主演で『「廓」より 無法一代』(日活)として映画化もされました。


戦時中の南方戦線の廓の実情、さらには戦後、占領軍であるアメリカ兵にそなえ、一般良家子女のための防波堤として廓の存在を日本政府が認めてきた現状・・・など、廓の近代史も興味深く描かれています。


これほどの長編小説を廓の片隅でコツコツ書き続けたこの作者、はっきり言って、すごいです。
まあ、作者の政治的信念が書き続ける根気の源だったのでしょうが、のちに小説家として名をなすには、共産党の地方議会議員であったというもう一方の肩書きは、残念ながら足を引っ張ってしまったようですね。


左翼文学のレッテルがなければ、もっと現代でも読み継がれていたはずの作品だと思うのです。すっごくおもしろい小説なのに、残念。

DSC02058[1]





コメント

  1. mitch | URL | 79YuviS6

    先日はどうも
    いやーこれほどの異色の人物が京都にいたとは、驚くとともに京都も捨てたものではないとある種、感銘を受けました。
    もっと大きく世に出ていい人物、小説家ですね。ちょうど政治家としては蜷川府政のころと
    重なる政治家でもあったのですね。
    まー今の時代ではこういう特異な人生経験、家族体験をもち、かつ政治と小説の二股をかけた人物などはまず出ないでしょうね。
    それにしても京都での認知度は(少なくとも私には)ほとんどないように思うのですが。

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