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比叡おろし

2011年01月26日 01:22

比叡おろし 田宮虎彦 1953年


初出は1953(昭和28)年11月の『新潮』。“比叡おろし”とは、比叡山から吹き下ろす北風のことです。

前の下宿の主であった「津村さんの奥さん」が亡くなり、「私」は下宿を移っています。
今度の下宿は黒谷金戒光明寺の苔むした石垣の陰にある古びた離れの二階。母屋では八十と六十の老婆の母娘が二人で住んでいました。
隣に住むもう一人の下宿人は細井さんという三十七、八の京都府庁に勤める年配者です。


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〈「その頃、私は、京都岡崎の黒谷光明寺の苔むした石垣のかげにあった古びた淋しい下宿にいた。夜更けて出入りするための小さな引き戸がつけられている京都の古い町家によくある下宿の格子戸は、もとはやはり京都の町家特有なべにがら塗りであったらしかったが、べにがらはとっくに剥げおち、(後略)」(本文より)〉


父親からの仕送りは止まったままでしたが、週三回の出勤で月々十五円くれるという破格の仕事を手に入れます。老舗箪笥店での社長秘書のような立場で、ほとんど仕事はないに等しい気楽なものでした。

細井さんも陰気で「私」とは当初、会話も交わさなかったものの、次第に打ち解けるようになります。
細井さんは「私」と同じ高等学校を十六、七年前に卒業しましたが、金銭的に恵まれず大学には行きませんでした。「どんなに苦しくても、大学へはすすんだほうがいいな」とアドバイスをくれます。


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〈小説中の主人公の下宿は岡崎東福ノ川町。この町名は金戒光明寺の西にあたります。〉


ずっと独身だと思っていた細井さんに、妻と女の子のあることがわかります。二人とは離れて暮らしているのですが、詳しい事情は細井さんも話しません。
ところがある日、十歳ばかりの女の子が細井さんの部屋に来ていて、それが娘の葉子ちゃんでした。葉子ちゃんは普段、奥さんの実家である大津に住んでいて、半年に一度くらいずつ、三、四日、細井さんの元に泊まっては帰っていくらしいのです。その間、細井さんは役所を休んで、毎朝、葉子ちゃんと一緒に出かけていきます。

父にすら蔑まれて家族の団欒も知らない「私」は、京都の名所にでも出かけているのであろう父娘の姿を、微笑ましくも羨ましくも感じていました。細井さんの休日が終わって勤めに出るようになり、葉子ちゃんが一人で部屋に残っていた時のこと。あまりに淋しそうに思えた「私」は葉子ちゃんを連れ出し、近くの動物園へと行きます。雨が降り出しそうな中を、葉子ちゃんは動物にたいそう熱中しています。その姿を見て、「葉子ちゃん、毎日、お父さんに連れていってもらっていたのに、動物園にはまだ来たことがなかったんだね」と話しかけました。すると、悲しげな瞳で「私」を見上げ、涙をため、うなだれたのです。

後日わかったことは、細井さんの奥さんは十年近く、岩倉の精神病院に入院していて、奥さんの病状が悪くなるたびに、葉子ちゃんが呼び出され、細井さんの元に泊まっていたのです。二人は病院へとお見舞いに出かけていたのでした。


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さて、箪笥店での仕事は相変わらず暇のままでしたが、社長の奥さんである常務が、「私」の級友・新野の姉だということがわかります。財閥の役員の息子である新野は、次第に「私」に親しく話しかけるようになります。そして新野の計らいもあり、いつしか月々の給料が二十円に上がっていました。
そして、「私」が出勤していない他の曜日には同志社女専の女の子が「私」と同じく社長秘書の仕事をしていて、実はその女学生だけを雇いたいところが奥さんの目をカモフラージュするために、「私」も雇われていたようだと悟るのです。

寒さが骨まで凍らせるように思えた頃、葉子ちゃんを連れ、岩倉の病院に行く細井さんの姿が四、五日と続いていました。その姿から病人の容体がとても悪いことを感じていましたが、朝早く、「私」は細井さんに起こされます。学校を休んで病院についてきてほしいというのです。細井さんは奥さんの最期が近いことを悟っていました。その日の夕方、奥さんは亡くなりますが、病院の面会室で「私」は葉子ちゃんの傍にずっと付き添っていました。奥さんの苦しむ姿を見せまいと。


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卒業試験が近づき、それが終われば、まもなく大学の入学試験です。ところが、「私」は仕事先の箪笥店から帰ってくると、川端署に留置されてしまいます。何かの事件で検挙された京都大学の学生の手帳に「私」の住所が載っていたからなのでした。その頃、京都や大阪では共産党員の検挙事件が続いていました。
「私」には心当たりがありました。二ヵ月以上も前のこと。箪笥店の仕事に行っている間、新野が部屋を貸してほしいと言っていたことを、です。もちろんその時、「私」には断る理由はありませんでした。それとともに新野が「私」に近づいてきた理由も了解出来たのです。

下宿の老婆は「  さんは、一人も、お友だちのない方どすえ」と警官に答え、細井さんも職場の上司に依頼状を頼んでくれて、ほどなく嫌疑は晴れます。なんとか大学の入学試験に間に合う日程でした。
そして細井さんがフォームで見守ってくれる中、「私」は入学試験へと東京に向かうのでした。


20110122164919ccf[1] 〈黒谷金戒光明寺山内の小径〉
「十二月に入ると、京都のきびしい寒さがつづきはじめる。比叡山から吹きおろす比叡おろしの北風が、黒谷の木々の梢をゆるがせては截るように吹きしきって岡崎の町並へぬけて行くのであった。」(本文より)






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