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鹿ヶ谷

2011年01月26日 01:20

鹿ヶ谷 田宮虎彦 1951年


この「鹿ヶ谷」(1951年7月『文芸』初出)では、前述の「卯の花くたし」(1951年7月『改造』)に登場する「津村の奥さん」と「井沢さん」の関係が明らかとなります。


主人公「私」の下宿先のおかみさんである、津村の奥さんは四十近い年頃。そして同じ下宿にいて医学部の医局につとめる井沢さんは三十二、三。最初、「私」が下宿に入った時、井沢さんが奥さんの夫だと思っていたのには年齢の他に、井沢さんが表座敷の八畳間に住んでいたからでもありました。

他の下宿生は二階に大学生が三人いたものの、夏休み近くになって、三人ともが百万遍のアパートへと越していきます。そして「私」は奥さんの計らいで納戸を改良した薄暗い一階の部屋から、大学生が抜けた二階の明るい部屋へと移してもらうのです(下宿代はそのままで)。


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〈それまで住んでいた部屋の説明に、「もともとは納戸として建てられたものであった。腰高な細長い窓がわずかにあいていたが、その窓の前には、何時ごろかの天皇の陵が迫っており、陵のまわりに生い茂った松の老木の枝が、おおいかぶさるように重たいかげを暗く私の部屋におとしていた。」とあります。この陵は、おそらく冷泉天皇の桜本陵のことです。広大な面積を持つこの陵は、西の哲学の道、東の安楽寺や法然院に挟まれ、外から見ると鬱蒼とした森のようでもあります。〉


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〈桜本陵の前の疏水に架かる石橋「櫻橋」〉


奥さんは熱を出した「私」を親身になって看病してくれたり、井沢さんは「私」が欲しがっていた芥川龍之介全集をくれたりと、相変わらず優しく接してくれます。幼い頃から父親に蔑まれ、今は送金も絶たれた「私」にとって、二人の好意はことさら身に沁みるのです。大学生たちがいなくなった下宿では、奥さんと井沢さんと「私」の三人による家族の団欒に似た愉しさがあり、心が満ち足りてくるようでした。

ところが、九月半ばを過ぎた頃、前に住んでいた学生の紹介で、栗田という大学生が二階に越してきました。しかし、奥さんは越してきた栗田に「どうして越して来たのです。おひきうけはしなかったじゃありませんか」と激しい口調で言っているのを「私」は聞きます。どうやら、出来るだけ早く引っ越すことを条件に栗田は部屋に荷物を運び上げました。


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〈冷泉天皇陵(桜本陵)近くの道。正面に見えるのが吉田山の緑〉


「私」は栗田という大学生の不躾さに嫌悪を抱くものの、彼から奥さんが未亡人ではなく、別居している夫があることを聞きます。栗田が下宿を出ていく二、三日前のことでした。「別居させられたのは、井沢とくっついたからだそうだぜ」と前にいた大学生から聞いたという話をいやしい言葉で伝えてきました。
「私」は二人の関係をなんとなく気づいてはいましたが、心の温かい二人をなじる気持ちにはなりません。


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〈「津村さんの家の前の路地をだらだら下りると、琵琶湖疏水がゆたかに流れているのだった。青く澄んだその疏水の流れは、琵琶湖から如意ヶ嶽の山裾をうがった隧道を流れぬけ、蹴上げで半ばの水をインクラインに落とすと、再び南禅寺、永観堂の下を潜り、若王子の社の前に流れ出て、鹿ヶ谷を銀閣寺道へとゆるやかに流れてゆく。」(本文より)〉


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〈「若王子の社」こと、哲学の道の南端にある「若王子神社」〉


秋が深まってきた頃、奥さんの顔にも、井沢さんの顔にも、暗い影の澱んでいることを「私」は感じます。
そして、ある日、家庭教師の仕事から遅くに帰ってくると、座敷にあったはずの井沢さんの調度が何一つ残っていませんでした。
奥さんは、今夜は淋しいから井沢さんの部屋で寝てくれと「私」に頼みます。事態を了解した「私」は素直に従いました。

「私がうとうとと浅い眠りにおちようとした時、私のそばに奥さんの身体がすうっとすべりこむようにはいって来るのを感じた。私は、はっとしたが、奥さんは何もいわず、両手で私の身体を抱きしめた。その手は、溺れるものが必死に何かにすがりつくような、せつない程の力がこめられていた。」(本文より)

奥さんはしばらくそうして泣き続け、やがて自分の部屋に帰っていきます。そして翌朝、服毒自殺をしていたのでした。






コメント

  1. 通りすがりました。 | URL | -

    通りすがりで失礼します。
    この下宿屋の奥さん(おばさん)には実在のモデルが存在しますが、虎彦とこのおばさんとの交流(関係)は、ささやかながら田宮文学の謎だと思います。
    田宮氏の心に、ずっとこのおばさんの存在が、あったと思われます。

  2. miyakotenjin | URL | -

    通りすがりさん、コメントありがと~

    田宮虎彦のこの6編の小説を読んだだけでも感じることは、妙にリアルで切実なんです・・・社会に対しても、文学に対しても。けっして表現するための言葉数は多くないのに、です。
    しかも、これらを“暗い小説”と世間では評されているようですが、たんなる“暗さ”ではないんですよね。

    通りすがりさんが教えてくださった、モデルの実在と、奥さんとの交流が田宮文学の謎と聞き、田宮虎彦の小説に奥深さがあるということだけは、(田宮虎彦の最期も含めて)改めてわかったような気がします。
    “ささやか”な謎ほど、他人にとって理解しがたく奥深いものはありませんね。

  3. 通りすがりました。 | URL | -

    通りすがりがウロウロしております。
    田宮文学におけるモデル彦坂静代については、未詳のことが多いため、語られることはほぼ絶無ですから記しておきます。ご容赦。
    虎彦の三高時代に下宿していた桜楓館という学生下宿を女手で一つで経営していました。虎彦は、「彦坂の小母さん」と呼んでいたといいます。夫君は、彦坂小七郎といい鴎外などと同時期の草創の西洋医でしたが、齢は倍ほども違っていたといいます。(当時死別)
    面倒見が良く、才気に溢れ北白川にあった櫻楓館は、繁盛したといいます。昭和十三年、四十五歳にして病死。また、味の素元社長渡邊文蔵氏夫人は、彦坂静代の娘。
    田宮氏の悲嘆は、ことさらに、大きかった。

    管理人さんにおかれては、田宮虎彦の作品紹介をなさり、お疲れ様でございます。頂いたコメントの内容には、同感でございます。

    ありがとうございました。


  4. miyakotenjin | URL | -

    通りすがりさん、ありがとうございます。

    すっごく貴重な情報、感謝×2です。

    昭和13年に亡くなられたということは、田宮虎彦が東京に出てからのことで、
    しかも病死だったんですね(ご主人とは死別で、しかも自殺ではなくって、すこしホッとしました)。

    自伝的色彩の強い作品だと勝手に思い込んでいましたので、通りすがりさんの情報を得て、余計に田宮虎彦の小説家としての才能を感じることができました。また彦坂静代さんの経歴を聞くにつけ、この方が田宮作品に及ぼしたであろう影響も、通りすがりさんが仰るように、少なくないようですね。

    それにしても櫻楓館とは、なんとも北白川の疏水沿いに似つかわしい、いい名前です。

  5. 通りすがり | URL | i1jUUG.6

    再訪して、ついコメントお許しください。

    再訪させて頂きまして、あらためて、
    管理人さんの「妙にリアルで切実なんです・・・社会に対しても、文学に対しても。けっして表現するための言葉数は多くないのに」という、評言につい惹かれました。
    仰る通りだと思いますし、これは、田宮文学全体の特質です。そして、確かに「たんなる暗さ」というような価値を見出されない方向性で、否定的に裁断されましたね。これは、リアリズム小説の観点から言えば、結果だけ提出して、その必然性や蓋然性の説明抜き、つまり「表現するための言葉数は多くない」からなんですが。。。
    また一方、ある種のカタルシスを詩的に昇華させた表現までにも、至っていない、ということにも陥っているからだと思います。
    なので、だから、田宮虎彦の小説は、田宮文学だけの読み解き方をしていかないと、その文学性を明らかに出来ないということになります。「妙にリアルで切実」の正体ですねつまり。今日的な意味での田宮文学の問い直しに、いよいよ日本の社会は逆戻りをはじめているように、思えます。
    勿論、良い世の中ではどんどんなくなって行くわけですが。。。

  6. t.okuno | URL | -

    通りすがりさん、いらっしゃいませ。

    以前、いろいろと教えてくださった、「通りすがり」さんでしょうか。ようこそです。

    まったくもって難しいことはわかりませんが・・・作者の生来の育ちのよさ・誠実さ(読者にも登場人物にも気遣いと思いやりが出来ているかのような)と、文体(息づかい)が、単に自分の肌にあっていた、とでもいいましょうか(文章のよさを文章で表現することは難しいですネ)。

    それでいて、絶望にも希望にも振り切れない、いえ、むしろ絶望も希望も含んだ人生そのものを描く作品が、何とも考えさせられる・・・ただそれだけなのです(リアリズムがどうのこうのは、残念ながら自分の埒外にあります)。

    なにぶん田宮作品自体もほとんど読んだことがない上に、田宮虎彦本人についても何も知らないので、よくわからないのです・・・。それに、自分にとっての“いい”作品が、他の人にとっての“いい”作品とも限りませんからネ。

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