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卯の花くたし

2011年01月26日 01:19

卯の花くたし 田宮虎彦 1951年


「私が父から送金を絶たれたのは、鹿ヶ谷の琵琶湖疏水の流れに近い津村さんという家に下宿していた時であった。」

あまり景気のよろしくない冒頭から始まる「卯の花くたし」ですが、実際の田宮虎彦も父親との折り合いは悪かったようです。
初出は1951(昭和26)年7月の『改造』、文庫で20ページ足らずの短編です。

舞台は戦前、1930(昭和5)年頃のこと。作者が第三高等学校に入学したのも、この年でした。


送金を絶つ旨の葉書を受け取った主人公の「私」は、下宿を飛び出し、疏水べりの道まで一気に駆け下ります。立ち止まったところは数少ない友人の一人、八木がかつて同志社女専の生徒と身投げをした場所だったのです。


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〈友人であった八木の身投げが、疏水のどの場所を指しているのかわかりませんが、菊池寛にも「身投げ救助業」という(平安神宮近くの)疏水を舞台とした奇妙な短編小説があります。当時、疏水での入水自殺は珍しくなかったようですね。とはいえ、今の水かさは膝ぐらいの水量で、当時、なみなみと水が流れていたとしても、はたして疏水の水幅で自殺が出来たのかどうか・・・。〉


今、「私」に友人と呼べるような人間は、いつも陰気な表情を浮かべている高瀬くらいなもの。高瀬と話すようになったのは八木が死んで、たまたま下宿の近かった二人が八木の死体に一時間近く付き添っていたことがきっかけでした。

父親から送金が絶たれた後、「私」は淋しさと不安に苛まれると、決まって疏水べりの駄菓子屋の二階、高瀬の下宿に行くのです。同じ不幸を背負っているような高瀬と向かい合っていると、何故か不安や苛立ちが静まりました。
疏水べりの人びとの話し声や水音を聞きながら二人はそれぞれ物思いに耽り、「また、来るよ」と言って主人公は帰っていくのです。


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〈京都大学の教授で哲学者の西田幾多郎(1870年―1945年)が散歩がてらに思索に耽った道として知られる「哲学の道」ですが、この小説には「哲学の道」の名称は出てきません。あくまで「疏水べりの道」なのです。正式な名称になったのは1972年だそうです。〉


「私」は家庭教師の職を増やしますが、それだけでは食費にも事欠く厳しい状態です。

「私はどうしても食事の出来ない時には、焼き芋を買って食べた。それを、薄暗い自分の部屋で、台所から汲んで来た水で咽喉におくりこむのであった。また、一つ一銭五厘のわりで売ってくれるうどんの玉を買って来て食べた。」(本文より)

うどんの玉をそのまま何もつけずに食べる・・・食事を一切我慢するよりも、ひもじさが際立ちますね。主人公がそんな食べ方を始めたのは、八木が死んだ時、集まってきた友人の一人がうどんの玉を何もつけずに食べる話を聞かせたからでした。みじめとも、笑い話とも取れる、くだらない話で、友人たちは八木の死から気を紛らわせていたのです。
月末になると、銀閣寺道の市場からうどんの玉を買って来ては、朝に晩に、四畳の狭い自分の部屋でこっそりと食べていました。


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〈銀閣寺道(白川通りと今出川通りの交差点〉


ところがある日、下宿先の「津村さんの奥さん」に、うどんの玉を食べているところを見つかってしまいます。
奥さんは「私」の前に“ぺたり”と座って、「  さん、そんなに困っているならどうして私に言ってくれなかったの」と「私」の肩をゆすぶり、「どうせこんなお部屋、お部屋代なんかいらないのよ」と涙を流してくれたのです(主人公の名前は一貫して匿名の「  」になっています)。

それ以降、同じ下宿にいたものの、会話も交わしたことのなかった井沢さんから論文の清書をする仕事を頼まれます。井沢さんは医学部の医局につとめ、おそらく「津村さんの奥さん」に「私」の窮状を聞き、仕事をくれたのです。
津村さんの奥さんも、「私」を気にかけ、(そもそも「私」は食事抜きの下宿生だったのですが)高価なハムやソーセージ付きの食事を持って来てくれたりもしました。
まわりの温かい人びとの支えもあって、主人公はようやく、学校へ通い続ける自信がつき始めます。

生活にも人心地がついた頃、それは「咲いている卯の花を咲きながらにくさらせるという、卯の花くたしの雨」が降り続いていた頃のことでした。学校に高瀬の姿が見えなくなります。
心配した「私」が高瀬の下宿を訪ねると、一階には駄菓子屋の老婆の他に見慣れぬ男がいました。二階にはいつも以上に陰鬱な表情をした高瀬がいたのですが、下にいた男は刑事だというのです。
前科のある高瀬の兄が故郷で再び強盗を犯し、高飛びをしていたのです。
どんな言葉もかけることの出来ないまま、いつもどおり「また、来るよ」と言って「私」は帰ります。

それから二、三日した夜のこと。「私」が部屋で病気のレポートの清書をつづけていると、遠くで呼び子の鳴るのが聞こえます。疏水べりの道を数人の人の駆けてゆく足音も聞こえていました。


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〈「哲学の道」は銀閣寺道から、若王子までの約2㎞の道のり。両岸には桜の木が植えられています。〉


翌日、高瀬と兄が一緒に川端署に留置されたことを知ります。生徒主事補は刑事のような口調で「私」に高瀬の日常を聞き出そうとしますが、「高瀬には悪いところはないでしょう、兄さんが悪いことをしたからって高瀬までつかまるなんて」と叫ぶように言い放ちます。
しかし、高瀬は追いせまる刑事たちに石礫を投げつけたり、兄に捕縄をかけようとした刑事を疏水の中に突き落としたり・・・していたのでした。






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