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堀川第一橋(中立売橋)

2011年02月23日 00:48

堀川第一橋(中立売橋)

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堀川に架かる「一条戻橋」は、いにしえより様々な伝説の舞台となる一方、近年の架け替えで無粋な橋となってしまいました(怪しさのカケラもありませんね)。

その「一条戻橋」から一本南に架かるのが、この中立売橋こと「堀川第一橋」です。

橋の名前はなんとも無機質ですが(笑)、江戸時代には公儀橋(江戸幕府の経費で管理する公の橋)として、二条城(江戸幕府側)と御所(朝廷側)とを結ぶ重要な役割を担っていました。堀川第一橋と称される由縁でもありますね。

歴史を感じさせる石造りのアーチ型の橋は1873(明治6)年に架けられ、1913(大正2)年に橋幅が拡張されています。
あまりに日常に溶け込みすぎていて、特段かえりみられることもない橋ですが、よく見るといい雰囲気と情緒を醸し出しています。

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堀川第一橋(中立売橋)は京都市内で現役最古の石アーチの一つで、親柱・高欄ともに当時のまま残っている希少な橋なのです。そしてアーチが真円なところも見所です! 隙間なく敷き詰められた見事な壁石は、石工・内田徳左衛門なる人物によるもの、だそうです。

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さて、この橋の南にはコンクリートの細い橋梁が架かっています。この場所が1900(明治33)年に架けられた市電(チンチン電車)の橋梁があったところなのです。この位置から市電が堀川を渡っていました。溝壁に埋め込まれたレンガの橋台跡の狭さからもわかるように、当初は単線だったことがうかがえます。

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さらに少し南には、幅の広いレンガの橋台跡が残っています。
1912(明治45)年に堀川線(北野線)が下ノ森から北野まで延長されたのを期に、単線から複線に改められます。堀川に直角に接していた橋梁も複線化とともに斜めに架け替えられました。その跡が、壁のレンガの部分なのです。

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〈堀川に飛び石のように菱形の石がオブジェとしてしつらえてありますが、これは市電の橋梁の跡をあらわしています。〉



ある一定以上の年輩の京都人にとって市電は、ノスタルジー以上の感情を抱く存在のようです。


「市電敷設事業」は「第二琵琶湖疏水事業」や「上水道整備事業」とともに明治末期から大正期にかけて“京都市三大事業”として、官民一体となって推し進められました。
その根底には、明治になって都が東京に移り、このままでは京都が衰退してしまうという市民共通の危機意識があったのです(奈良みたいになってしまうのではないかという危惧ですね)。


そもそも、市電敷設の先駆けとなったのは1895(明治28)年2月、日本初の電気鉄道を民間の京都電気鉄道(通称は京電)が走らせたことから始まります(最初の区間は東洞院塩小路下ル~伏見下油掛)。幸いにも電力には琵琶湖疏水を利用した水力発電がありました(日本最初の蹴上発電所から一般供給用として送電が開始されたのは1891(明治24)年のことです)。

DSC02289[1] 〈蹴上発電所〉

“京電”は順調に路線を延ばしていきますが、のちに京都市が主導となって電気鉄道を敷衍することが決定します。もちろん“京電”の買収も視野に入っていました。

1912(明治45)年6月に市民の念願だった“市電”の運行が4路線で開始されます。
ところが、先行して運行していた“京電”の軌道(線路の幅)が狭軌(1067mm)を採用していたのに対し、“市電”の軌道は標準軌(1435mm)を採用します。

その後、1918(大正7)年7月に経営悪化に陥っていた“京電”は市に買収され、なくなります。市は順次、かつての“京電”と“市電”とが重複する区間の整理や、狭軌を標準軌へと改修しますが、堀川線(北野線)だけは1961(昭和36)年7月の廃線まで狭軌路線として残り、そこを走る車輌はNARROW(狭い)の頭文字をとって「N電」と呼ばれ、廃線の最後の日まで日本最古の電車の面影を伝え、多くの市民に愛されたのでした。

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まあ、そのN電の面影の、さらなる微かな面影が、堀川第一橋(中立売橋)の傍では今も残っている・・・という話です。



さて、堀川第一橋(中立売橋)から四本目の下流に架かるのが、堀川第二橋(下立売橋)です。名前からもわかるようにこちらも公儀橋でした。

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現在は何の面白みもない幅の広いアスファルトの道でしかないのですが、1874(明治7)年に架けられた当時は、この橋も堀川第一橋と同じように、石造りのアーチ橋だったのです。

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1971(昭和46)年の大幅拡張により、もう石造りの橋は見ることができません。と思いきや・・・、橋の下からは、かつてのアーチ橋の様子がうかがえます。

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昔から堀川第一橋は別名「鶴の橋」といい、堀川第二橋は「亀の橋」と呼ばれ、人びとに親しまれてきたのだとか・・・。おめでたい名前ですね。






コメント

  1. ぽん | URL | -

    3月になったら、京都シネマで「堀川中立売」というタイトルのキッチュでカルトなゾンビ映画が公開されますね。楽しみ~
    堀川やうちの近所でも撮影してるそうです。

    と、この手の映画はお嫌いでしょうか?(笑)

  2. miyakotenjin | URL | -

    ぽんさん、ども~。

    もうね、すっごく楽しみなんです。
    前からつくっているのは知ってたんだけど・・・
    でも、でも・・・、かなり評判は悪いみたい(笑)

    カルト映画と言えば、「京極真珠」ってあるの、ぽんさん知ってるかなあ。
    自分は見たことないんですけど、一度見てみたいっ!

    あ、カキコしてないけど、新地のお写真拝見しましたよ(笑)。すっごい趣味だあ・・。

  3. ひろし | URL | AJPTr9q2

    市電北野線

    私が知っている市電は、河原町線5番とか東山線6番くらいです。
    父は学生のころ北野線に乗っていたようです。
    客が前方に集まると、後ろの車輪が浮きあがる。
    屋根上のポ-ルが外れて車掌が元に戻す・・・など聞きました。
    のんびりしていた時代ですね。
    上七軒の芸妓さんの話では、堀川中立売で脱線したことがあったようです。

  4. miyakotenjin | URL | -

    ん~ん、なかなか市電の番号を聞いてもどこを走っていたかピンと来ませんね(苦笑)。
    市バスの系統すらわからないのに(笑)

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