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方広寺 大仏殿 その3

2011年01月20日 01:14

かつての方広寺大仏殿のあった場所に建つ豊国神社の変遷ですが・・・、

20101230050759585[1]

秀吉は亡くなった翌年(慶長4(1599)年)に方広寺近くの東山・阿弥陀ヶ峰に埋葬され、その麓に建立された廟所が豊国神社の起源となっています。その時、後陽成天皇から正一位と豊国大明神の神号が贈られ、当初は社領1万石、境内域30万坪を誇る壮麗な神社だったのだとか。

ところが、元和元(1615)年に豊臣家が滅亡すると徳川幕府は神号を廃止し、社領を没収します。ご神体は新日吉神宮に移されました。

さらに時代は流れ、明治になって天皇が大阪に行幸したとき、豊臣秀吉を尊皇の功臣であるとして豊国神社の再興を決定します。明治6(1873)年に別格官幣社に列し、明治13(1880)年には方広寺大仏殿跡である現在の地に社殿が完成したのです。

201012300508005fb[1]



少々、余談を。

「かごめかごめ」という子供遊びがありますね。そう、「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀がすべった 後ろの正面だあれ」という歌のアレです。

この不可解な歌詞をめぐっては、徳川埋蔵金のありかを示す暗号だとか、遊女の悲哀をあらわした歌だとか、堕胎された子の怨念を歌ったものだとか、都市伝説めいた様々な言い伝えがあります。

その中の一つに、豊国神社をうたったものだとする説もあるのです。
「正面」とはまさに「正面通」の行き着く先、方広寺とさらにその東にある秀吉の廟所を指すというのです。
徳川家康を神格化するためには、秀吉が神のままでは都合が悪く、徳川幕府は秀吉の神号を廃止し、社領を没収します。その時、豊国廟を掘り返し、秀吉の棺を取り出します。さらに秀吉の遺体を、当時の庶民と同じ屈葬にして甕棺に収め直すほど、幕府の行為は徹底していました。「かごめ」の部分が「屈め(かがめ)」と読み取ることができ、この秀吉の屈葬をあらわしているというのです。

とはいえ、歌詞の「後ろの正面だあれ」の部分は明治になって付け加えられたものらしいので、この説は残念ながらこじつけなのでしょう。

20101230050800579[1]
〈豊国神社から見る正面通〉






コメント

  1. mitch | URL | 79YuviS6

    勉強になりました。

    秀吉にまつわる大仏の歴史初めて知りました。
    秀吉の権力を握ってからの横暴ぶりが、ある種の天罰をくらった感じがしますね。
    それにしてもとことんこの大仏は天に嫌われましたね。もともと奈良の大仏を凌駕する物を作ろうという卑しい権力欲が墓穴を掘ったのでしょうね。
    何だか日本がバブルに浮かれていたころやりたい放題でしたが
    その反動で失われた20年を経験してきたことと重なりますね。
    その後今や中国がそれに取って代わっていますが、まるで
    日本が豊臣家で、中国が徳川家のようですが、徳川も最後は
    崩壊するわけですから中国も今のようにやりたい放題を続ければ
    いずれ同様の運命が待っているように思われます。
    人間も国家もいつも謙虚さが必要なようです。
    今京都におります。よかったらメールいただければうれしいです。

  2. miyakotenjin | URL | zdITjaKQ

    mitchさん、コメントありがと~ございます。

    盛者必衰ですね。
    といっても、一度は盛者になってみたいものですが(笑)。

    金ピカ好みの秀吉は好きではありませんが、今の京都の基盤を築くことになった都市計画の才能はピカイチだったかもしれませんね・・・(笑)。

    お、mitchさんは京都にお帰りですか。今年の冬はシアトルの方が居心地が良さそうな気候です(泣)。

  3. ぽん | URL | -

    子どものころ、肩から上だけの大仏さんを見たような気がします。あまりに昔で、かすかな記憶なんですが、ものすごブキミでこわかったんですよね、表情が。
    ぬばぁ~っとした感じが、上半身だけの中途半端な姿でいっそう際立ってたような気がします。

    いろいろ忌まわしい話が残る場所ですが、豊国廟は行かれましたか?

  4. miyakotenjin | URL | -

    ぽんさん、いらっしゃ~い。

    豊国廟は、かな~り前に行きましたが、階段のイメージしかないんですよね。

    ほよ、かの大仏さんを生で見られましたかっ。
    自分は昔、図鑑か何かで見ましたが(おそらく、あの大仏さんの写真は今、ほとんど残っていないはずです)、
    狭いお堂の中に、のっぺりとした顔で、う~ん、飛鳥時代の仏像みたいな顔とでもいいましょうか、
    たしかに写真からも不気味さは感じましたねえ。

    あ、そうそう、遊郭建築好きのぽんさんは、京阪橋本駅の遊郭跡に行ったことありますか?
    中書島はもうほとんど赴きある建物は残っていませんが、橋本にはまだまだ、いい建物がありますね。

    P.S. 新しいワンちゃんのムサちゃん、かわいぃ~。

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