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二十歳の原点 その2

2011年01月15日 02:51

奥浩平氏と高野悦子さんは、奇しくも、学生運動にのめり込み自問自答する姿や、青春期の失恋など、同じような境遇を辿り、最後は自死を選んでしまうのです。そして、死後に親族により日記が刊行され、ベストセラーとなる点も同じで・・・。


しかし悲しいことには、この一連の『二十歳の原点』シリーズの刊行で、高野さんの親族には非難する声も寄せられ、ベストセラーになったが故のお金にまつわるいわれない誹謗中傷にもさらされたようです。


単行本『二十歳の原点』のあとがきで、高野三郎氏は次のように語っています。

「故人の手記を発表してほしいという話があったとき私は迷いました。手記が、発表されることを予期して書き綴られたものでないだけに、故人の恥部をさらけ出すことを恐れたのです。故人のプライバシーを尊重してソットしておくべきだとの御意見もありました。にもかかわらず、あえてそれを乗りこえさせたものは、編集者たっての懇請もさることながら、平凡な家庭に育ち平凡なコースを歩んだはずの一人の娘が、非凡な終末をとげるに至ったのは何故なのか、そして親として平凡なコースに戻らせるべくアドバイス(コントロール?)はできなかったものか。この辺の経緯と親と子の断絶、これらを汲取っていただいて他山の石としていただけたら、という次第なのです。」


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〈寺町通りと広小路の交差点〉


先に述べたように、彼女の心の友といえる書は『青春の墓標』で、リストカットまがいのカミソリで指先を切る自傷行為をしたり、太宰を好んで読んだり、そして自殺についての記述がたびたび見られたり・・・。

「私は誰かのために生きているわけではない。私自身のためにである。ホテルのソファに坐りながら、自殺しようと思った。車のヘッドライトに向かって飛びこめば、それでおわりである。家の父や母は悲しむかな、テレしようかなとか、今日はペンと手帳を持っていないから遺書はかけないなあとか、本気になって考えた。けれども、死ぬってことは結局負けだよなあと思った。」(4月18日の日記より)

彼女はずっとどこかで、自殺という人生の最期に憧れを抱いていたような気がします・・・。栃木に住む両親も彼女を心配し、自殺の一週間前には娘のやりたいようにやらせてあげよう、との言葉を伝えるために母親が京都を訪ねてきますが、結局、親の思いは届かず、その時京都で母親に買って貰った茶色のワンピースと靴を履いて、列車に飛び込んでしまいました。


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