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詩人 天野忠 その3

2010年09月01日 23:47

さて、天野忠の詩集のなかで、もっとも好きなものはと問われれば、
やはり『動物園の珍しい動物』(『クラスト氏のいんきな唄』改題増補 1969年9月刊行)と答えます。

『クラスト氏のいんきな唄』として天野忠51歳の時(1961年)に文童社から150部限定で自費出版されたこの詩集は、
詩ではなく「クラスト氏のこと」と題された前書きから始まっています。

要約すると、
ある日、貧相で不恰好な西洋人が夜店の古本屋の雑誌をひやかしていました。
その西洋人が奇妙なアクセントの日本語で漫画雑誌を値切っています。
それを見ていた人見知りであるはずの著者「私」が、その西洋人と連れだって、
近くの「びっくりうどん屋」に行き、うどんをおごってやります。
「私」の買った「日本詩人」を水夫であったその西洋人は見せてくれといい、その本を指さし、これは何かとたずねます。
「ジャパニーズ ポエット」と「私」が答えると、西洋人は奇妙な顔をし、感嘆詞を続けざまに発し、早口でまくし立て「私」を驚かせます。
「私」が西洋人の発する言葉を判らないと見ると、
「キミハ ポエットカ?」と西洋人はたずねます。
「ポエットになりたいと思う」
「ポエット タイヘンムツカシイ ポエット(だいぶん考えて) クルシイクルシイ……」と頭を押さえ「クルシイ」さまを表現して見せました。
今度は「私が」たずねます。
「君はポエットか?」
西洋人はそそくさと「maybe」と答え、目を伏せました。
別れ際に、その西洋人は自分の詩をタイプで打った10枚ほどのよれよれの便箋を「私」にくれます。
そのとき、名をたずね、耳に残ったのが「クラスト」という音でした。
その後、何日も何週間もかかって翻訳したそれらの詩が、戦後、ひょっこり出てきます。
もうこの世にいないであろうクラスト氏の詩集を、せめて粗末なものでもいいからとつくったのが、
『クラスト氏のいんきな唄』と題されたこの粗末な本である、ということです。

もちろんこの話ははすべて天野忠の虚構な訳ですが、こういうお茶目な仕掛けをほどこすセンスが何とも言えず好きですねえ。
要約では雰囲気が出せていませんが、一風変わった短編小説のような趣もあります。

天野忠の作品は詩よりも随筆など散文の方が好きだ、という人も多いらしいですが、
この人が小説を書いていれば、いったいどんな作品ができあがっていたのだろうかと、興味も尽きません。


糺川_20100831204213 〈下鴨神社を流れる糺川〉


『動物園の珍しい動物』(『クラスト氏のいんきな唄』改題増補 1969年9月刊行)から短い詩を3つほど。


「危険」


東洋には姥捨山があって
不要な老人は捨てられる
古いペンを捨てるように。

まことに合理的なことだ これは

諸君
古いさびたペンは捨てよう
ただし山へ捨ててはならぬ
山では
泣きながら
不要な老人が歩いている。




「動物園の珍しい動物」


セネガルの動物園に珍しい動物がきた
「人嫌い」と貼札が出た
背中を見せて
その動物は椅子にかけていた
じいっと青天井を見てばかりいた
一日中そうしていた
夜になって動物園の客が帰ると
「人嫌い」は内から鍵をはずし
ソッと家へ帰って行った
朝は客の来る前に来て
内から鍵をかけた
「人嫌い」は背中を見せて椅子にかけ
じいっと青天井を見てばかりいた
一日中そうしていた
昼食は奥さんがミルクとパンを差し入れた
雨の日はコーモリ傘をもってきた。




「あーあ」


最後に
あーあというて人は死ぬ
生まれたときも
あーあというた
いろいろなことを覚えて
長いこと人はかけずりまわる
それから死ぬ
わたしも死ぬときは
あーあというであろう
あんまりなんにもしなかったので
はずかしそうに
あーあというであろう。



百万遍の古本屋_20100831205533
〈百万遍の古本屋〉






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