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祇園の姉妹 その2

2011年02月21日 00:53

ある日、偶然、パチンコ屋に入った美津丸が父・古沢を見かけたことで、古沢が追い出された真相を知る。薄情な美津ひろの振る舞いに、怒った美津次は美津丸を連れ、家を出る。

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〈パチンコと舞妓。斬新な取り合わせです(笑)〉

同じように、美津ひろが主人・工藤を旦那にしたことに怒りを覚える木村は、彼女を誘い京都の郊外・高雄に向かう。
「君は芸者の境遇を脱け出したいのか、脱け出したくないのか。僕を愛してはいないのか?」
木村の問いに黙り込む美津ひろ。「もういい」と突き放す木村に追いすがる美津ひろだったが、木村が体をかわした弾みで彼女は崖から落ちてしまった。

祗園の姉妹000128

美津ひろが怪我をしたとの報告を受けた美津次。その頃、彼女の元からは、「東京に職が見つかった」との薄情な一本の電話だけを残して古沢が去っていた。
美津次は怪我をした美津ひろを背負い、久しぶりに家へと帰ってきた。二人の間にはかつての姉妹の情が戻る。
寝込む美津ひろの元へ謝罪に訪れた木村に、美津ひろは結婚することを誓うのであった。

祗園の姉妹000153



オリジナルである溝口健二監督の『祇園の姉妹』(1936年)が、あまりに日本映画史での存在感が大きすぎるためでしょうか。リメイクであるこの作品は、そう評価は高くないようです。

人情に厚い姉が、最終的に元旦那の古沢に逃げられ、人の心にドライな妹が、姉の愛情と、自分を慕ってくれる若い男性の好意に救われる・・・。人情だけでもダメで、金勘定が長けているだけでも生きていけない花街の難しさと哀しさ、というところを描きたかったのでしょうが・・・、少し単調な感は否めません(当時としてはこれがリアルだったのでしょうが、現代から見ると・・・)。
役者陣の演技はいいのですが(主演の小野道子が、少し宝塚チックなセリフ回しなのが微笑ましい)、だからといって当時の花街が本当にこんな風だったのかと言えば・・・どうなんでしょう。

オリジナルとの大きな違いは、1936年の溝口健二作品が祇園乙部(現在の祇園東)を舞台としているのに対し、この野村監督のリメイク版は祇園甲部を舞台としていること(1956年の野村作品がわざわざ冒頭に“都をどり”の場面を挿入していることからもわかるように、舞台の違いは花街の質を語る上でも大きいのです)。乙部は当時、娼妓がいる庶民的な町でもあり(有り体に言えば、甲部より格が落ちたわけです)、花街に生きる芸者の厳しい生活の裏側を描くには、甲部より乙部の方が適していたわけです。
そして他には、中村玉緒演じる美津丸の存在(溝口監督作品には出てきません)と、勝新太郎演じる木村が溝口作品の木村に比べ優しいこと(前作の木村は“おもちゃ”(美津ひろの役割)に裏切られ、非道の輩となって“おもちゃ”を傷つけるのです)。

“古い姉”と“新しい妹”という対比では『祇園囃子』(監督・溝口健二、1953年)もそうでしたが、『祇園囃子』の姉と妹の関係では、妹はあまりに幼すぎました。
その点、『祇園の姉妹』の姉と妹は、どちらも自立しているということでは、脚本は意欲的だったのですけれど・・・。



さて、この映画には、あまり京都の名所は出てきません。

祗園の姉妹000035

四条通の東にある八坂神社の西門です。市電が走っているのがわかるでしょうか。

祗園の姉妹000102

平安神宮の前をタクシーに乗って通る姉・美津次役の木暮実千代と、祇園の女将。女将役といえば・・・浪花千栄子しかいませんよねっ(笑)。





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