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哥 その1

2011年12月11日 02:07

哥 監督・実相寺昭雄 1972年


滅び行く日本の原風景と、それを守ろうとする不器用な青年。
高度経済成長で急激に移りゆく時代という巨人に抗おうとする、ドン・キホーテを描いた一作です。
旧家の中では莫大な財産の分配や愛欲を巡って様々な思惑が渦巻く中、その寡黙な青年は一人、ただ家を守ることだけを考えています。それが彼の唯一の生存の理由でもあるかのように。

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〈主人公・淳を演じる篠田三郎〉


どうしてもこの『哥(うた)』は、実相寺昭雄がATGで制作した前の二作『無常』(1970年)、『曼陀羅』(1971年)に比べると、脚本のあざとさが目についてしまって・・・。

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〈森山家の長男・康には岸田森〉

弁護士の仕事に没頭しながらも、親の財産の行方が気になる長男・康(岸田森)。
遊び人で、自分が生きているうちにすべての財産を使い果たそうとする次男・徹(東野孝彦(のちの東野英心))。
そして、家のためならどんな滅私奉公もいとわない、当主と召使いとの間に不義の子として生まれた三男・淳(篠田三郎)。
主な登場人物の色分けも、わかりやすすぎ(苦笑)。

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〈次男で遊び人の徹には東野孝彦(のちの東野英心)〉

そして、脚本のあざとさに加えて、主演の篠田三郎演じる淳があまりに人物としての魅力がなさ過ぎ。たとえばダメ人間でも、陰気な人間でも、極悪非道の人非人でも、何か魅力があれば映像を見る上で面白いのでしょうが、
感情を押し殺した彼のロボットを意識した演技は、見ていてイライラするほど。もはや篠田三郎という役者自身の決定的な魅力のなさなのではないか・・・とも思えるくらいです。


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舞台は、丹波篠山の旧家・森山家。一帯の山あいを所有する大地主で、年老いた当主・伊兵衛(嵐寛寿郎)は妻・ヒサノ(毛利菊枝)と、長年森山家に仕える召使い・浜(荒木雅子)との三人で静かに暮らしています。

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〈森山家の当主・伊兵衛を嵐寛寿郎が演じています〉

そして物語が進行する場所は、丹波篠山の本家から離れた京都の南丹・園部の別宅。ここでは法律事務所を営む長男の康(岸田森)が家主となり、妻の夏子(八並映子)、弁護士を目指す司法書生の和田(田村亮)、若い女中の藤野(桜井浩子)、そして書生の淳(篠田三郎)が暮らしているのです。

書生の淳が当主の子どもだという事実は別宅の人間には隠されたまま。ただ母の浜に「森山家があっての我々。森山家をお守りするように」と教育されてきた淳にとっては、森山家への忠誠心のみが、その生きる行動原理のすべてで・・・。

朝の9時から夕方5時まで、寸分の狂いもなく時間に正確に働く淳。その頑なまでの生活リズムは、康の法律事務所に突然、大物の弁護依頼が舞い込んで、家人総出で資料をつくらなくなった時にも揺るぎません。「五時以降は働きとうないんです・・・僕は五時以降は働きません」の一点張りで。
司法書生の和田が、「忙しいときに、残業して働くことは森山家のため」と諭しても、淳は聞く耳を持ちません・・・。そう、淳にとっての森山家とは“モノとしての家”そのものなのでした。

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〈左が和田役の田村亮〉

ですから、毎夜、誰からも頼まれることなく、夜中十二時になると懐中電灯片手に、広い屋敷を見回り、家を火災から守ることを日課としているのです。皆から気持ち悪がられようとも。

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哥 その2

2011年12月11日 02:08

淳の唯一の楽しみは、食事が済んだ後に、ザラメを加えたハッタイ粉をおやつとして食べること。
そして唯一の趣味は、仕事が終わってから勤しむ習字。文字への執着は相当なもので、近くの墓場で墓石の拓本をとっては、書の手本にするほど。

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墓場に居合わせた謎の雲水(内田良平)に「拓本をとっているその墓石の字はうまくない」と言われても、「すでにこの世を去った人の事を書いた字なんやから、この字を刻んだ石の中には“絶対”が潜んでいます。死という名の絶対・・・墓碑銘には格別の味わいがあるんです」と、この映画で唯一、笑顔を披露する淳。
しかし雲水は語ります。「墓をつくればいつまでも死者の記憶がこの世に残ると思うのもバカな考えだ。死人の魂なんか百年もしたら消えてしまう。一番長持ちして千四百年くらいだが、これは未練たらしくていかん。お釈迦様など死んだ途端にその霊魂も消滅したそうだ」と。

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森山家の別宅では、毎夜、書生の和田と女中の藤野が、家人の目を盗んで睦み合っていて、さらに夏子は夫・康との夜の営みもなく欲求不満の毎日。
悶々とした夜を送っていた夏子は、ある日、和田と藤野の営みを垣間見たことで興奮し、淳の部屋に入り、彼を襲います。
「あんたに断られたら、うち、他に男つくるかもしれへんで」「よそでそんなことすると、森山家が噂になります」「そうや、そやから・・・」
なによりも森山家の体面を重んじる淳は迷うことなく夏子を受け入れます。

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表面上は大きな波風の立たなかった森山家別宅に、長い間、都会で放浪していた次男・徹が帰ってきたことから、大きな展開を見せます。

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徹は家の財産をあてにして、親の死を待っているような、根っからの遊び人。
そして康は徹が帰ってきたのを、これ幸いと古い家を弟に任せて、気軽な京都のマンション住まいへと移るのです。

康の法律事務所の転居にともない、和田は行き場を失って、おなじく途方に暮れる藤野にせかされ、妻・夏子の浮気をだしに、康を強請り200万円の大金を引き出し、二人で代書屋を営みます。

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そして淳は長男・康から次男・徹に主人を移し、あくまで「森山家のために・・・」と別宅に残り、日々の雑用をこなし・・・。

しかし、次第に陰気な淳を徹は鬱陶しくなり、暴力を振るい、ついには「置いてやるかわりに、食事をするな」と命令。その主人の命令に頑なに従い次第に衰弱していく淳。そんな衰弱した中でも、日課の深夜の点検だけは欠かさず・・・。

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哥 その3

2011年12月11日 02:08

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日に日に衰弱していく淳を心配した和田は徹からの相談もあり、強請のあとで二度と会わないと言われていた康に、事の顛末を説明するため京都へ。淳が自分の弟だと薄々感じている康は彼を心配し、急いで別宅に帰るも、淳は「いっぺん口にされた言葉は、消されへん。時間を坂のぼらん限り」と食事を拒否しつづけます。

家という概念と、時間の概念にあくまでこだわりつづける、淳。

康夫婦と徹が揃った別宅の居間では、財産分与の話がなされ、その話を聞きつけた淳は這々の体で二人に訴えるのです。

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監督・実相寺昭雄、脚本・石堂淑朗といえば・・・そう、劇中に必ず挟み込まれる、その作品の核となる緊迫した登場人物同士のやりとり。
そして『哥』の場合は、淳が唯一感情をむき出しにする、この場面がそうでした。

淳「それだけはやめて下さい。山を売るのはやめてほしいのです」
康「淳、お前はどうしてこれまで森山家を大切に思ってるんや。売られてバラバラになって人手に渡っていくのは、何もうちの山林だけやない。日本中どこでもそうなんや」
淳「そやし・・・そやしお願いしてるんです。森山家だけは、バラバラになったらあかんのです。森山家の土地こそ、最後の砦でなければ、あかんのです」
康「何のための砦や? もう日本には守るべき価値のあるものは何一つないと思うんやが」
淳「そうです。そやから必要なんです。中身はのうなっても、形さえあったらいずれ必ず中身は・・・命は復活します。その形のために森山家の自然、古い山が必要なんです。これを失うたら、我々は魂の拠り所である形を失うんです!」
徹「魂なんていらねえんだよ、淳。日本はもう滅びたんだ。今さら手遅れだ。ヨーロッパもアメリカも日本も、もう滅びたんだ。要するにね・・・世界なんかありゃしないんだ。世界そのもの、存在そのものが、一つの夢なんだ。この宇宙を構成している無機物の気まぐれの一つなんだよ。・・・おい、下男! 山林を売ったらな、少しはお前にも金をやる。その暁にはハッタイ粉を浴びるほど喰うてくれ。ハハハハハハ・・・」
淳「そこまで考えになっていて、あなたは・・・なぜ、自殺しはらへん?・・・」
徹「・・・それは・・・自殺もまた夢の一つに過ぎんからさ・・・」

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う~ん、やはり前二作に比べれば、少し弱いのです。ここで説明された淳の行動原理の動機づけがネ・・・。そこが最も、この作品に入り込めなかった理由でしょうか。



映画の最後は、康夫婦と徹、そして淳の四人が車に乗って山林を見に行く場面。資産である山々を見渡し、数十億の金が手に入りそうだと話し合っている三人の姿がありました。

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そして同じ頃、本宅にいた伊兵衛と妻・ヒサノは、遠くの山に灯った狐火を目にします。
しかし、その狐火は狐火ではなく、康夫婦と徹の三人を乗せた車が燃える火で・・・。

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森山家の山林を守った淳もまた、本宅につづく長い石段の下で息絶えるのでした。

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ところで・・・「哥」って、どういう意味なんだろう?



青空の人たち その1

2011年12月13日 23:19

青空の人たち 著者・平林英子 1969年

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平林英子の夫である中谷孝雄や梶井基次郎らが東大の学生時代に作った文芸同人誌が『青空』。

その『青空』(1925年1月~1927年6月)に集った人々の思い出を平林英子が綴った文章が『青空の人たち』です。
中心となって取り上げられている人物は・・・梶井基次郎、三好達治、外村繁、淀野隆三、そして『青空』の同人ではなかったものの旧制三高時代から梶井、中谷らと親しかった武田麟太郎。

まだ学生だった彼らが、同人誌の打ち合わせでたびたび訪れ、会合の場所として使用していたのが、早くから“ままごと”のような結婚生活をしていた中谷と平林の家でした。
のちに自らも作家となる平林英子ですが、むしろ作家としての眼よりも、中谷孝雄の妻として見た彼らの姿が描かれていて、おもしろい一冊となっています。
これらの文章の初出は、檀一雄が編集に携わった季刊文芸誌『ポリタイア』。何度かに分けて掲載された文章が1969年に皆美社より単行本として出版されました。


平林英子(1902(明治35)年―2001(平成13)年)は長野に生まれ、京都で事務の仕事をしていた頃、旧制三高に通っていた中谷孝雄と知り合い、同棲を始めます。

いったん平林と中谷との関係がこじれ、平林は実家に帰った後、当時私淑していた武者小路実篤が主宰する「新しき村」に入村。しかし、翌年には離村し、地元長野で新聞記者として働きます。その頃にはすでに、中谷との関係も修復していました。

1924(大正13)年、中谷が大学入学で東京へ移ったのを機に、夏には平林も新聞社を辞めて上京。翌年には子どもにも恵まれますが、家柄を重んじる旧家の中谷家にはこの結婚は秘密とされ、事実婚のままの生活が長く続いたのです。

作家となる夫の影響や、『青空』の会合での多くの文学青年との交流もあって、のちには自らも作家に転身。
1932(昭和7)年には「日本プロレタリア作家同盟」に加わり、解散後は「日本浪漫派」に夫とともに属しました。

平林は母親や妻としての一面も強く、多作な作家ではありませんが、1974年には『夜明けの風』で芸術選奨新人賞を受賞。
自らも99歳と長命でしたが、夫の中谷孝雄も93歳と天寿を全うしています。


「日本プロレタリア作家同盟」は非合法組織である日本共産党の子飼いの組織でもあったわけですが、そこで平林は後に財政部長となります。とはいえ、毎日、同盟費の集金に回るような仕事ばかり。しかも平林は共産党員でもなく、挙げ句の果てには近所に陸軍の将校の家があるからというだけで共産党員からは「スパイ」呼ばわりされる始末で・・・。
働く者が倖せになるような、社会のくることを希い、そうした理想のもとに、よい作品を書きたいという、まことに単純な気持から入ってきた私にとって、上部から出る観念的な指令には歯がたたなかった。同盟員の間では「政治と文学」についての論争も、しばしば繰返されはしたが、結局は、政治にひきずりまわされる結果になった。
徳永直や、林房雄といった幹部らが離れ、「日本プロレタリア作家同盟」は自然消滅し、平林も「ほっとした」と述懐しています。



青空の人たち その2

2011年12月13日 23:21

『青空の人たち』では梶井基次郎について、次のような文章から始まっています。
もし梶井さんが五十歳を過ぎるまで生きていたら、どんな顔になったであろうかと、私は以前から何かの折にふっと思うことがあったが、そんな時必ず目に浮かぶのは、晩年のお母さんの顔であった。

『青空』同人の中でも、平林英子と最も古くから付き合いがあったのが、梶井基次郎。彼は京都の旧制第三高等学校時代に、同棲していた中谷と平林の部屋に学校をサボっては入り浸っていました。

梶井が初めて小説を書いたのは、三高に入学した二年目の初夏。「汽車通学の往復で、度々顔を合わせた同志社女学校専門部の女生徒に思いを寄せて、見事失敗した直後のこと」(本文より)と回想しています。同性の中谷には話しづらい恋愛の相談も、平林には気軽に相談できる間柄だったようです。

ある朝、梶井は通学途中の意中の彼女に、英詩集の一ページを破り、彼女の膝上へ「これを読んでください」とお置いてくるのです。そのページには女性への愛情を訴える詩が載っていました。そして行動に移した直後に、梶井が現れたのは、平林の部屋。
「大胆なことをなさったのね」という私の顔を見ているうちに、梶井さん自身も少し不安になってきたらしく、自分で自分を元気づけるように「細工はりゅうりゅう……」などと云って胸を叩いたり、大きい掌を宙に振ってみせたりしたが、何となく落ちつかないようだった。
この告白は平林の予想通り失敗に終わるのですが、それから間もなく、その時のことを二十五、六枚の小説にして平林のもとに読んでほしいと持ってきたのです。
小説のすじは忘れたが、胸をわるくしている青年が主人公で、夜中、熱にうかされた青年が、両手を宙にあげては、弱々しい救いを求める場面があったことだけ覚えている。作品の題も忘れたが、表題の右肩には、例の達筆で「習作」と書いてあり、左方の少し下った場所に「この拙なき一篇を中谷妙子に捧ぐ」と書いてあった。中谷妙子なんて、初めて聞く名前だったが、世の中には似た名もあるものだと、私は軽く思っただけだった。
おそらく恋の告白の相手が、中谷妙子という女学生だったのでしょう。その日の帰り、梶井からその小説を「これはあなたにあげましょう」と渡された平林でしたが、残念ながら梶井の幻の処女作は、平林が住居を転々としているうちにどこかへなくしてしまったようです。


そのほかの平林が梶井を語ったエピソードには、

近くの洋館から聞こえる讃美歌をいつしか覚え、口ずさんでいた平林を見て、梶井が音符の付いた立派な歌集を持ってきてくれたり・・・、
平林と中谷と梶井との三人で嵐山で遊んだとき、梶井は寒いだろうからと平林の肩にマントを掛けてやったり、持ち物を持ってくれたりするのに、中谷は何も気づかない態度なのを怒って「おまえは暴君だぞ!」と叱りつけたり・・・。

と、女性想いの優しい一面ばかりが語られています。中でも、

中谷や梶井が東大進学で東京に出てきてからのこと。
生活に困窮していた中谷家では、平林の着物を質屋に入れて金を用立てようと考えますが、平林は一度も質屋に行ったことがなく恥ずかしさもあって、しぶしぶ涙を拭きながら夜道を歩いてたどり着いたのは梶井の下宿。
質屋通いになれていた梶井に気安く行ける質屋を紹介してもらおうとの心つもりだったようです。
下宿の玄関に現れた梶井は、泣きはらした平林と風呂敷包みを見て事情を察したらしく、目的の質屋の前に来ると、平林の手から風呂敷包みをもぎ取るようにして、「あなたはしばらく、その辺をぶらついていなさい」と、ひとり質屋の暖簾の中へと入って行くのです。
私はその時まで、自分が店へ行って金を借りる交渉をするつもりだったから、何となく緊張していたが、梶井さんが行ってくれたので、嬉しいやら、ほっとしたやらで、その辺をぶらつくどころか、じっと道傍に立ったまま梶井さんが出てくるのを待っていた。そして、やがて出てきた梶井さんの手から、小さく畳んだ風呂敷や、若干の金と質札を渡された時は、しみじみと「いい兄貴だなあ」と思ったことだった。

・・・いい話です。



それにしても三好達治が、あんなにもわがままでダメ人間だったとは。

1930(昭和5)年には処女詩集『測量船』を発表し、ほどなく叙情的な詩風で人気詩人となった三好達治でしたが、

うすら寒い夜、突然、中谷家を訪れ、尊敬していた萩原朔太郎に詩が古いと言われた悔しさのあまり、「俺の詩は古いのか! 古くはないだろう……」とうめくように言い放ち、涙を流したり・・・、
友人の家の畳の上に平気で痰を吐いたり・・・、
病気になり友人宅に厄介になっているにもかかわらず、その病人という立場にかこつけて、わがままし放題、甘え放題の粗暴ぶりを発揮したり・・・(笑)。





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