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京の名所図会

2011年05月03日 01:47

『都名所図会』から『花洛名勝図会』まで


当ブログでもたびたび引用している『都名所図会』『拾遺都名所図会』ですが、江戸時代後期には当時の旅行ガイドブックたる各地の「名所図会」が多数出版され、好評を博します。

そのような時代にあって、挿絵付の本格的な「名所図会」の嚆矢となったのが、安永9(1780)年に出版された『都名所図会』でした。

『都名所図会』が出版されるまでにも断片的な「名所記」や町の由来を解説した「町鑑」の類は多数出ていたものの、まとまったカタチでの出版物はなかったようです。

『都名所図会』金閣寺_R_R
〈『都名所図会』より 金閣寺〉

『都名所図会』は京都寺町五条の書林・吉野屋の吉野屋為八が企画し、図版の出版に抗議が出ないようにと(当時から著作権は厳密だったのです)、それまで京都で出版されていた「名所記」の版木(出版権)をあまねく買い取るという用意周到の上で、作られ始めました。

京都の俳諧師・秋里籬島(あきさと・りとう)が文章を担当し、大阪の絵師・竹原春朝斎(たけはら・しゅんちょうさい)が挿画を施し、版木の彫刻も含め出版までには五年の歳月がかかったといわれています。


『都名所図会を読む』(宗政五十緒編、1997年、東京堂出版)によると、当初は思うように売れなかったそうですが、当時の大阪城代が江戸へ参向した時、親類縁者の土産として『都名所図会』を十数部持ち帰ったところ、評判となってその翌年から一年に四千部売れる大ベストセラーとなりました。

『都名所図会を読む』
〈『都名所図会を読む』(宗政五十緒編、1997年、東京堂出版) 現在、最も手軽に『都名所図会』に触れることのできる書物です〉

この『都名所図会』で大利を得た吉野屋為八は、さらに続編である『拾遺都名所図会』を天明7(1787)年に刊行。そして、京都にとどまらず『大和名所図会』『住吉名勝図会』『摂津名所図会』『和泉名所図会』『東海道名所図会』・・・と次々に各地の名所図会を出版していくのでした。


【都名所圖會(都名所図会)】安永9(1780)年

『都名所図会』清水寺_R_R
〈清水寺〉

名所図会の先がけとなった墨摺六冊本。本文は俳諧師・秋里籬島が著し、図版は絵師・竹原春朝斎が描き、京都の書林・吉野屋から安永9(1780)年に刊行されました。
京都の名所旧跡を、洛中、洛東、洛西、洛南、洛北の順に、文章と絵巻風の鳥瞰図・風俗図とによって紹介。主に神社・仏閣を取り上げています。この造本や版面・挿絵の様式が、後の名所図会に受け継がれることとなりました。好評のため版木が摩耗し、天明6(1786)年に再版されています。


【拾遺都名所圖會(拾遺名所図会)】天明7(1787)年

『拾遺都名所図会』二軒茶屋_R_R
〈二軒茶屋〉

『都名所図会』の後編として天明7(1787)年に刊行された墨摺五冊本で、本文と図版は前回と同じく秋里籬島と竹原春朝斎が担当。
その名の通り、『都名所図会』で漏れた名所を拾い集めているため、町や小路にある小祠や小寺院も収録されていますが、これらの多くは文章の解説にとどめ、代わりに大社の祭礼や四季の年中行事の様子を多く取り上げ、当時の人々の風俗をより知ることが出来ます。


【都林泉名勝圖會(都林泉名勝図会)】寛政11(1799)年

『都林泉名勝図会』伏見稲荷社 初午_R_R
〈伏見稲荷社 初午〉

寛政11(1799)年に刊行された墨摺五冊本で、『都名所図会』と同じく本文は秋里籬島が著し、挿絵は佐久間草偃、西村中和、奥文鳴の三名が競って描いています。京都の名所、その中でも特に庭園を中心に描かれているのが特徴です。


【花洛名勝圖會(花洛名勝図会)】元治元(1864)年

『再撰花洛名勝図会』大文字送り火_R_R
〈大文字送り火〉

元治元(1864)年に刊行された墨摺八冊本で、原案は平塚瓢斎が担当し、木村明啓と川喜多真彦の二名が執筆。挿絵は松川安信、四方義休、楳川重寛ら複数名が描いているようです。当初は洛中を初め、東、北、西の山々を部として六編が予定されていましたが、実際に出版されたのは第二編の「東山之部」のみ。



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新撰京都名所圖會 その1

2011年05月03日 01:48

新撰京都名所圖會 著者・竹村俊則

江戸後期に大ベストセラーとなった『都名所図会』『拾遺都名所図会』から180年後、昭和の世にも「名所図会」の名著が現れます。

それが『新撰京都名所圖會』全七巻です。

R0010023.jpg 〈『新撰京都名所圖會』全七巻(白川書院刊行)〉

先駆の『都名所図会』を範としながらも、町の様変わりが目に付きはじめる昭和30年代の京都を舞台に、克明に町の姿を写し取った新たな「名所図会」の誕生でした。町に散らばる寺社や旧跡を緻密な鳥瞰図に著し、詳しい解説を付けたそれは、郷土史資料としても江戸期の名所図会に変わらぬ重要な位置づけに、本来ならあるべきなのでしょう。

著者・竹村俊則は挿画も自ら手がけ、1958(昭和33)年から白川書院によって順次刊行を開始。7年後の1965(昭和40)年に完成をみました。


巻一  東山  1958(昭和33)年

新撰京都名所圖會 巻一 三條白川橋 〈三條白川橋〉


巻二  西北部  1959(昭和34)年

新撰京都名所圖會 巻二 嵐山 〈嵐山〉


巻三  洛中1  1961(昭和36)年

新撰京都名所圖會 巻三 立命館大学 〈立命館大学〉


巻四  洛中2  1962(昭和37)年

新撰京都名所圖會 巻四 四條大宮 〈四條大宮〉


巻五  洛南1  1963(昭和38)年

新撰京都名所圖會 巻五 桃山御陵 〈桃山御陵〉


巻六  洛南2  1965(昭和40)年

新撰京都名所圖會 巻六 三室戸寺 〈三室戸寺〉


巻七  索引  1965(昭和40)年


各巻の序文も名だたる文化人・学者が文章を寄せています。第一巻には新村出、第二巻には吉井勇、第三巻は中村直勝(元三高教授、京都女子大教授の日本史学家)、第四巻は野間光辰(京大教授の国文学者)、第六巻は瀧川政次郎(國學院大學教授の法学者)。特に新村出と吉井勇が序文を書いているのは刮目です。



新撰京都名所圖會 その2

2011年05月03日 01:49

『新撰京都名所圖會』の「あとがき」を中心に、完成にいたる経緯を見てみましょう。

筆者・竹村俊則(1915(大正4)年―1999(平成11)年)は、京都生まれの京都育ち。京都市立商業実修学校卒業。

執筆の動機となる『都名所圖會』との出会いを「古本屋の店頭で同書を手にしたのはまだ十四・五才ごろのことであつたが、子供心にもいたく感銘をうけ、これと同じような昭和時代の京都をえがいた新しい名所圖會があれば、今昔對照ができて、さぞ楽しいことであろうと思つた」といい、特に竹原春朝斎の描く鳥瞰図の挿絵に大きな感銘を受けたようです。

また、他に影響を受けた作品として特記しているのが、吉田初三郎の「京都交通名所圖會」(1928(昭和3)年、4枚綴り)。これは表面に色彩豊かな図会が描かれ、裏面に京都案内が掲載されている逸品です。

京都交通名所圖會 洛東
〈京都交通名所圖會 洛東〉

吉田初三郎(1884年―1955年)は大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師で、彼の処女作「京阪電車御案内」(1914年)は修学旅行で京阪電車に搭乗した皇太子時代の昭和天皇にたいそう褒められたというエピソードを持つ人物でした。

竹村の在学中に昭和御大典(即位の礼)があり、学習用に頒布された「京都交通名所圖會」の圖帳に探求心をそそられ、さらに高山樗牛の「滝口入道」を読んで感動し、鳥羽の恋塚や嵯峨の祇王寺、滝口寺址などを訪ねたことが史蹟探訪の始まりだったのだとか。

新撰京都名所圖會 巻二 祇王寺 滝口寺
〈祇王寺 滝口寺(『新撰京都名所圖會』巻二) 史蹟探訪のきっかけともなった「滝口入道」ゆかりの祇王寺、滝口寺も、もちろん掲載されています〉

そして竹村が本格的に郷土史研究に身を入れるようになるのは、戦後。京都の有名な郷土史家であった田中緑紅(1891年―1969年)に師事し、1952(昭和27)年には帝大出身の古代史研究家・藪田嘉一郎(1905年―1976年)と「京都史蹟研究會」を創立。地道に実地研究を重ねてきた歳月が、後の『新撰京都名所圖會』執筆作業に活かされるのです。

いつしか自らの「名所図会」を出版したいとの構想を持ち続けていた竹村でしたが、無名に近い一介の郷土史家に出版を任せてくれる奇特な出版社は、そうありません。
そこで自費出版として出すことを決意し、京都府庁での役人生活をやめ一攫千金を狙って事業界へと身を転じたようです。が、事業は失敗。

そんな時に、詩人であり白川書院(後に廃業し、現在の白川書院とは別組織)を主宰していた臼井喜之介(1913年―1974年)の編集する観光趣味雑誌『東京と京都』に原稿執筆の依頼を受けたのです。かねてから思い描いていた「名所図会」の下書きをしてみようと軽い気持ちで掲載を請け負ったことが、後の大著『新撰京都名所圖會』へと繋がります。第一回掲載は1957(昭和32)年5月発行の『東京と京都』6月号でした。

新撰京都名所圖會 巻四 河原町三条
〈河原町三条(『新撰京都名所圖會』巻四)〉



新撰京都名所圖會 その3

2011年05月03日 01:50

『新撰京都名所圖會』の制作は画・文ともに竹村俊則が単独での執筆で、1957(昭和32)年4月から1964(昭和39)年10月にわたる7年6ヶ月間に及びました。これは当初の計画5ヵ年を遥かにオーバーし、途中から執筆に熱が入りすぎたことと、健康を害したことが遅れた理由だったようです。

従来の名所案内記の「小さな社寺はもとより史蹟・傳説、古墳をはじめ、年中行事・風俗習慣・名物名産・新らしい産業文化施設等にわたつてくわしくしるされたものはきわめて少なかつた」ことを不満とし、地方人よりもむしろ京都人を対象とした「郷土史的な案内書」とするべく執筆には留意したとのこと。
そして、掲載されている鳥瞰図は『都名所図会』(1780(安永9)年刊行)と同一角度から描くという粋な計らいが施されています(少し画が小さいのが残念ですが・・・)。

挿入される鳥瞰図や絵は400点に及ぶ膨大な数ですが、この緻密さにも目を奪われます。同志社大学の画は縦80センチ、横110センチに及ぶ画用紙に、実地下検分から作画完成までに二週間を費やしたそうで、府立医大や立命館大も各一週間かかったのだとか。

新撰京都名所圖會 巻三 同志社大学
〈同志社大学(『新撰京都名所圖會』巻三)〉

洛中の項目の制作秘話として、小路・横丁をしらみつぶしに廻るため自転車を用い、繁華街のスケッチは交通事情を考慮し早朝に行ったこと。社寺建築よりビル建築、特にゴシック建築が画として描きにくかったこと。そして鳥瞰図を描くにあたり、屋上にどのような構造物があるのか、地上からではわかりにくいのにも閉口したことを挙げています。

新撰京都名所圖會 巻四 烏丸三条
〈烏丸三條(『新撰京都名所圖會』巻四)〉

当時の白川書院もなくなり『新撰京都名所圖會』も絶版となっていましたが、1980年から『新撰京都名所圖會』を改訂加筆した『昭和京都名所圖會』(全七巻)が順次刊行されることとなります(1989年に完成)。出版元は京都を代表する大型書店・駸々堂。しかし、その駸々堂も2000年には倒産し、『昭和名所圖會』もまた絶版となり・・・。

R0010016.jpg 〈『昭和京都名所圖會』(全七巻)駸々堂出版〉

『昭和京都名所圖會』は洛東上、洛東下、洛北、洛西、洛中、洛南、南山城の全七巻からなっていて、推薦の帯文は、林屋辰三郎(当時、京都国立博物館館長)。
1957年に雑誌に連載し始めた頃は、単行本になることを想定しておらず、最初に書き出した東山方面の内容を簡略にしたまま『新撰京都名所圖會』を出版したことが、竹村にとっては心残りでもあったのでしょう。
新しく出した『昭和京都名所圖會』では、洛東に関して二巻に分けるほどの大幅な加筆がなされています。
さらに全編にわたって町の変化に応じ前作を加筆修正していますが・・・、前作のもつ魅力はまったくもって半減してしまいました。前作は昭和30年代という、古き町並みが新しく変わろうとしている姿も含めて興味深かったわけで、この焼き直しは必要なかったような・・・。


『新撰京都名所圖會』の本の帯には『都名所図会』を意識して「百年間のベストセラー」と銘打たれ、著者の竹村俊則も「どうかこの本を大切にして子孫につたえていたゞきたい。本書が眞に利用されるのは、百年二百年後にあると思うからである」と語っていますが・・・出版から五十年。執筆当時に竹村が思い描いたよりも早く、この町は変貌を遂げてしまったようです。

高度経済成長は町の姿を大きく変え、特に洛中の名所旧跡は今やビルの谷間に埋もれ、もう鳥瞰図で表すこともできそうにありません。

おそらく現代の京都の町並みを見るとき、もう平成以降の「名所図会」を作ろうとする人もいないでしょうし、町としての魅力をなくしてしまった現在の京都の姿を残す必要もないのかもしれません。

新撰京都名所圖會 巻四 革堂 下御霊社 
〈革堂 下御霊社(『新撰京都名所圖會』巻四)〉 

しかし・・・、古い建物の中にちらほらとビルが建ちつつあった昭和30年代。京都の町が最も激しく移り変わろうとしていた、“一番おもしろい時代”“町の成長期”を切り取った「名所図会」。この名著『新撰京都名所圖會』を復刊して、郷土史の資料としてだけではなく、現代の町並みと比較して気軽にノスタルジーに浸れるくらいの余地は、あってもいいと思うのですがねえ・・・(まっ、需要もないでしょうし、出版不況にあえぐ中で再刊しようという奇特な出版社もないのでしょうが(苦笑))。


新撰京都名所圖會 巻三 護王神社 【車や市電】
〈護王神社(『新撰京都名所圖會』巻三)より 図会の道にはいたるところに懐かしい市電や、時代を感じさせるボンネットバス、レトロな自動車が走っています〉

新撰京都名所圖會 巻二 宇多野ユースホステル
〈宇多野ユースホステル(『新撰京都名所圖會』巻二)より 上空には戦闘機が二機も(笑)。『新撰京都名所圖會』には、空の空白の寂しさを埋めるように、意味もなく数々の飛行機が描かれていましたが、『昭和京都名所圖會』では、ことごとく、その遊び心も消されてしまっているのが残念〉

新撰京都名所圖會 巻三 岩神祠
〈岩神祠(『新撰京都名所圖會』巻三)より サザエさんとワカメちゃんも特別出演です!〉





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